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錆びた鈴の音-***の家(前編)

Categoryゼロの刻
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 昔々のそのまた昔、魔界では三つの国で争っていました。
 東は、鉱物系の魔族が集っているガデン。
 西は、竜族が治めているサジェス。
 そして、南には、前の二つに比べて小さな国、人型系の魔物が中心のダリアロ。
 時に地形すら大きく変えながら魔族が戦う、その片隅で、弱くも一生懸命に生きている魔物がおりました。

 《なりそこないの魔物》。
 牙も爪も鱗もなく、角や翼もない人型の魔物。千を超えるが当たり前の魔族に比べて、たかだか二百年ほどの寿命しかない。一つ特徴があるとしたら、その長い耳ぐらいのものでした。
 魔法が発達しているこの魔界において、なりそこないはその魔力まで弱く。知性こそ人並みだと評価されていたものの、あまりに弱すぎたため魔族の一員に加えてもらえませんでした。
 だからと言って、彼らはそう悲観的ではありませんでした。
 子を産み育て、はぐれた仲間を見かけたら手を差し伸べる。助けられた思い出を、次へとつなぐ。そうして、彼らは魔界を生き延びてきたのです。
 本当は、なりそこないにはもう一つ、他の魔族には真似できない、優れたところがありました。魔界では、誰もそれに気づけなかっただけで。

 例えば、『彼』もそんな一人。



FAMILIAR ~ゼロの刻~ -->説明書


   ***の家(前編)


キーワード:【黒】、魔界、悪魔、兄妹、殺人鬼、因果応報
 『彼』の外見は、なりそこないに良く似てました。物心をついた頃からそれを利用し、戦場のどさくさにまぎれて、沢山の狩りをしてきました。
 魔界において、強い事が正義であり、弱いことが悪でした。だから、誰も『彼』を攻めませんし、『彼』自身、そんな自分を気に入っていました。
 ただ一つ、自分に名前がないことを除いては。

 屍の大地で産声をあげた『彼』には、両親がいませんでした。他人というものは、すべからく食料であり、狩れる相手かどうかでしか見ていませんでした。
 知性の低い、ただの魔物であれば、『彼』はこんな事で悩まなかったでしょう。
 いつか、本当に強い魔族と出会ってしまうまで、戦場の片隅で死肉を食んでいたことでしょう。

 けれど、『彼』は疑問に思ってしまったのです。
 自分が誰で、何者で、何のために生まれてきた生き物なのかと。

 魔界の生き物は、誰であれ名前を持っています。自分が何の種族か知っています。
 竜は元々、大気を循環させるための生き物でした。熱い息、冷たい息、稲妻を放って、魔界に風や季節や生み出したものです。
 岩石巨人は、大地を活性化させるための生き物でした。時にマグマとして、時には地震を起こして、この魔界の土地を広げていきました。
 これらの隙間で、人型系魔族たちが、海に山に森にと生活していました。人魚は住みやすいように魚や珊瑚礁を作り出し、翼のある者は暗い洞窟に住む蝙蝠たちを従えて、森では一角の獣が自然を守っていました。
 今では、どれも魔界の生き物と呼ぶにふさわしい姿へと、様変わりしてしまったけれど、力を追い求める魔族の価値観の根底として、それぞれ残っています。

 けれど、『彼』には何もありませんでした。自分の種族すらわかりません。
 疑問を覚えたその日から、『彼』の心にはいつもぽっかり穴が空いていました。
 『彼』の半身は、なりそこないの魔物に似ていましたが、もう半分は人の形をしていませんでした。半分だけなら、人型系の魔物と同じルーツを持ってそうでしたが、もう半分が違います。
 第一、なりそこないの魔物は弱く、『彼』のように魔族を獲物にする事などできません。だから、『彼』は、自分は半分だけ《なりそこないの魔物》似た、別の生き物だと考えました。
 
 誰に教わるでもなく、魔族の言葉を盗み、魔族の文字を覚え、住処を殺し合いばかりの戦場から街へと移したことで、彼の世界は大きく広がりました。
 獲物を殺す前に会話を楽しむぐらいには、店屋で物を買うぐらいには、他人と触れ合うようになりました。
 しかし、新しく家族という概念を知ることで、『彼』の心の穴は余計に広がって行きました。
 考えれば考えるほど、自分という存在が揺らぎ、不安を感じました。
 他の魔族が、ああも平然としていられるのは、彼らは名前があるからだと考えました。
 『彼』も、指標となる名前が欲しくてたまりませんでした。
 街に暮らして、食べ物や衣服は豊かになったのに、心にはいつも空洞を感じていました。
 その穴を、『彼』は獲物をなぶることで埋めていました。
 例え一時しのぎでも、誰かが憎しや恐れの目で見てくれるということは、自分の存在を認めてくれる証のような気がして安心できたのです。
 『彼』が戦場で覚えた生きる手法では、これしか対処法がとれなかったのです。



 ある日、そんな『彼』に《なりそこないの魔物》が言いました。
 名前をあげるから、一緒に来ないかと。
 どうやら、彼の半分だけを見て、同族と勘違いしたようでした。
 その透き通った目には、『彼』に対する憎しみや侮蔑の念は何処にもありません。
 殴るわけでもなく、ただ握るだけの手が暖かいと感じたのは初めてでした。魔族の腸に触れた時よりもずっと、胸に届く者がありました。
 これまで『彼』にこんな態度をとった者はいませんでした。
 赤い血を見るのとは、別の昂揚感がありました。
 だから、『彼』は、人の形をしていないもう半分の姿を秘密にして、誘いに乗ることにしました。
 こんな不思議な生き物なら、本当に名前をくれる気がしたからです。

 こうして、『彼』は兄になりました。

 なりそこないの一家に迎え入れられた『彼』は、大人しい子供を演じていました。
 両親は、森で獲った小動物を街の料理屋に売る仕事をしていました。
 親が留守の間、赤ん坊の面倒をみるのが『彼』の当面の仕事でした。
 『彼』は、人より良い耳を持っていました。
 言葉で話さずとも、他人の気持ちを聞き取ることができたのです。
 この耳で、『彼』は本当の親より、上手に子守ができました。
 ご飯をやり、おしめを替えて、寝かしつけて、『彼』は一日中、妹の側にいました。誰かの手が無くては、この赤子は簡単に死んでしまいます。何かあっては、何もなくてもすぐに熱を出すような妹は、『彼』の手をしっかりと握っていました。
 夜泣きも、妹が『彼』を必要として呼んでいるのだと思えば、むしろ嬉しいぐらいでした。あまり大きな声で泣いていると、外から魔物を呼び寄せてしまうのですが、それは家の外にいる『彼』の半身が食べてくれるから良いのです。
 こうやって『彼』が上手に子守をすると、両親が褒めてくれました。「良い子だね。偉いね」と抱きしめて、額や頬にキスをしてくれました。
 最初は身体に触れられるのを嫌がった『彼』でしたが、その内むずがゆいのを我慢するようになりました。こうして貰うと、その日は戦場の夢など見ずによく眠れると気づいたからです。

 『彼』は幸福でした。
 名前を貰って、自分は妹の兄であるという役割を手に入れて、もう心の穴などに悩まされる心配はありません。
 だだの、なりそこないの子供で居ればいいのです。
 戦場も嫌いではありませんでしたが、あそこに安らぎはありませんでした。
 一年が過ぎ、二年が過ぎ、少しは言葉を話せるようになってきた妹のたわいも無い質問に答えるうちに、自然にも目が行くようになりました。
 妹は植物が好きで、柔らかい毛並みの小さな生き物が好きで、森を漂う小さい光に手を伸ばしました。
 妹が、これが好きだと言うと、『彼』も同じ物が好きになりました。
 両親が怪我して帰ってくると、妹は泣きそうになりました。
 妹が、怪我や血をみるのは嫌いだと言うので、『彼』は昔のように血に酔わないように気を配りました。血が見たくてしょうが無い時は、川魚で我慢しました。
 『彼』が獲ってきた魚を、妹が美味しそうに食べてくれる事の方が、「お兄ちゃん凄いね。美味しいね」と妹が目を輝かせて『彼』を見てくれる事の方が、血をみるよりずっと心地よかったからです。

 でも、ただの子供で居られたのは、二年間だけでした。
 街に行った両親が戻らなかったのです。家の中と近くの森しか知らない妹が、今日も窓の外を見ています。両親の帰りを待っています。
 それが、『彼』には不満でした。妹は外ばかりを見て、『彼』が話しかけても生返事ばかりで、こちらをしっかり見てくれません。
 業を煮やして、『彼』は久しぶりに街に出てみました。
 三国の国境沿いに位置し、脱走兵なども多く集まるこの魔族の街では、路地で死体が転がっていることも、そう珍しいことではありません。この街では金銭目当てで、腹が減って、機嫌が悪かったから、そんな理由で命は奪われていくのです。
 『彼』自身、街に居た頃はそうやって暮らしていました。
 両親が行きそうな場所を巡りましたが、見つかりません。
 もう帰ろうかと、通りかかった店先に一本のナイフが売られていました。
 白い鞘に収められたそのナイフは、父の物です。
 『彼』は店長にナイフの事を訪ねました。
 街のごろつきが売りに来たと言うのです。
 『彼』は、もう少し詳しく聞こうと、半身に店の中で暴れさせました。
 しかし、店主は片足を囓られても、それ以上のことを話しませんでした。
 ごろつきの顔や名前なんていちいち確認してないと言うのです。嘘を聞き分ける『彼』の耳が、店主の言ってる言葉は本当だと教えてくるので、『彼』はナイフを譲ってくれたら店主を見逃すことにしました。
 今度、そいつが店に来たら、必ず教えるように言い含めて。

 『彼』は持ち帰ったナイフを妹に見せました。
 それから、妹にもわかりやすいように、家の裏に墓を建てました。
 妹が泣くのを見るのはつらかったけど、泣き疲れて眠った妹の頭を撫でながら『彼』は少しばかり喜んでいる自分に気づきました。
 だってこれで、妹は『彼』だけを見てくれるから。
 ただでさえなりそこないは身体が弱いのに、妹はその中でも病弱でした。
 『彼』の助け無しでは、一週間と生きていられません。
 両親が残してくれた蓄えは微々たる物で、妹には森で捕れる食べ物の他に薬が必要です。
 だから『彼』は、ただの子供でいることを止めました。
 街に戻って、昔の狩りを再開しました。


 年を経るごとに戦争は激しさを増していましたが、兄妹からは遠い場所のお話でした。
 人型系魔族の支配地、ダリアロ領内の外れの森。
 木々に埋もれるように、その家はありました。
 これは、そんな『彼』が新たな転機を迎える。
 そんなお話。


  ・/・


 燐光が踊る獣道を抜けて、いつもと変わらない大きな屋根の家が見えたとき、金髪の少年は、ほっと息をはいた。
 金髪から覗かせる長い耳に赤い瞳、白い肌。着ている服は大きめで、動きやすいように袖をまくっていた。両手いっぱいに抱えた紙袋からする甘い果物の香りに、喜んでくれる相手の顔を思い浮かべて、少年の顔は自然に緩んでいた。
「イトラ。ただいま!」
 ドアを叩いて、声をかけると中からバタバタと走ってくる音が聞こえた。
 かんぬきが開いて、ドアが開くと同時に、満面の笑みが少年を出迎えた。
「イサンテお兄ちゃん。お帰りなさい」
 そう言って、イトラは買い物袋をテーブルに置くイサンテの脇腹にしがみついた。
 少年と同じ長い耳に、青い瞳、淡く色づいた紫色の髪は肩にかからない高さで揃っていた。丁度腰の辺りに頭がくる妹に肘が当たらないよう気をつけて、イサンテは荷物を広げた。
「あ、ナンの実がある」
 甘い匂いの元になってる赤い実が出てくるのをみて、イトラから喜びの声が上がった。
「先に食べていいよ。そう言うだろうと思って、先に川で洗っておいたから」
「えへへー。いただきまーす!」
 イトラが歯をたてると、破れた薄い皮から甘い匂いが部屋中に広がった。
「はい。イサンテお兄ちゃんも一口どうぞ」
 妹が差し出した囓りかけの実に、イサンテも歯をたてる、薄い皮から汁が溢れ、果肉の甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。イサンテはそのまま妹の前に膝をつくと、白くて細い腕を伝う果汁を舐めとって綺麗にした。
「美味しいね」
 口いっぱいに頬張る妹の笑顔に釣られて、そうだねっとイサンテも笑った。
 食べ終えてべたべたになった妹の手のひらに口づけて、指の間から指先、手の甲へと舌を這わせる。イトラの両親が生きていた頃には、やらなかったことだ。可愛いからって、手足を舐めたりするのは、家族の域を超えているとたしなめられたことだ。
 でも、今はその両親が居ないから、イサンテの好きにできた。
「もう、くすぐったいよ。イサンテお兄ちゃん」
 笑いながら嫌がるイトラの声が、耳に心地良い。
「あれ? イサンテお兄ちゃん。また怪我したの?」
「ん? ああ。最近、町に兵士崩れが増えてね。戦線が南下してきてるみたいなんだ。危ないから、イトラは森の外に出てはいけないよ」
 妹に指摘されて、イサンテは二の腕に巻いた包帯を隠すように、丸めていた袖を伸ばした。腕だけではない。足や首にも包帯は巻かれている。
「お兄ちゃん……」
「それより、ほら。もうひとつお土産があるんだよ」
 心配そうな妹をよそに、イサンテが首に巻いた紐を引っ張ると、懐から大きな宝石のついた首飾りがでてきた。
「イトラの瞳と同じ色の石だよ。ほら、思った通り、君に良く似合ってる」
 妹の首にかけながら、イサンテはうっとりと言った。
 蛇の胴体が絡み合う土台に深い青の石がはまっていた。自分の手より大きなそれを掴んで、イトラはうつむいた。
「お兄ちゃん、私、高い物なんていらないよ」
 宝石を目にしたことがなくても、装飾の作りが丁寧で、丈夫に作られているのはわかる。この前貰った木のブローチとはあきらかに質が違った。
 そんなイトラを抱きしめて、
「ボクの心配をしてくれてるの? 嬉しいなぁ。イトラはいい子だね。いい子いい子」
 イサンテは妹の頬にキスをして、あやすように頭を撫でる。
 かつて、イトラの両親にイサンテがしてもらったように。
「でもね」と緋色の瞳が暗い色を帯びる。
 自然と小さな肩を抱く腕に力が入った。
「ねぇ。イトラ、さっきボクの名前を呼ばなかったね?」
 静かに告げると、イトラの長い耳がぴくりとはねた。
「ご、ごめんなさい。イサンテ……お兄ちゃん」
 妹が言われた通りにするのを見て、イサンテは満足げに微笑んだ。
「ご飯を食べたら、人形遊びをしようか。それとも絵本を読むのが良い? 三日もひとりで留守電できたご褒美だよ。好きなお願いを考えておいてね。何でも叶えてあげるから」
 椅子の背にかけてあったエプロンを手にとる。
 イトラの母がしていたように料理のまねごとをする。
 味は本物に劣ってしまうけど、本に書いてある料理よりもよく食べてくれた。
 両親の記憶はほとんどなくとも、舌は母の味を覚えているようだ。
「ねえ、私もお仕事を手伝えないのかなあ。イサンテお兄ちゃんは街で働いてるんでしょ。私も街に行ってみたい」
「あはは、イトラはうちで待っているのがお仕事だよ。それにまだ月に一度は熱をだしちゃうだろ。まずは、お熱がでなくならなきゃね」
 イトラは、お皿やフォークを並べてしまうとすることが無くて暇なのか、椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせていた。
「熱が出なくなったら連れてってくれる? 約束だよ。絶対ね」
「はいはい。約束したから、少し横になってきなさい。まだ時間かかるからさ」
 鍋を火にかけて、イサンテがイトラの脇に立った。
 エプロンを小さい手が掴む。
「イサンテお兄ちゃん。私が見てない間に、どっか行ったりしない?」
 潤んだ瞳が、イサンテを見上げた。
「しないよ。イトラに何かあったら、すぐに助けに行くからね。だから、ちゃんとボクの名を呼んでよ。君が名前を呼んでくれる限り、ボクは君のお兄ちゃんで居てあげるから」
 こくりとイトラが頷く。
 良い子だね、と小さな額にイサンテはキスをした。


  ・/・


 魔物が活気づく夜の街角。
 鉄柵に囲まれたゴミ捨て場で、火花が散った。
 大の大人の身の丈をゆうに超えた赤いスライムが、火炎を飲み込んだ。
 半透明の腹の中で、火の玉が出口を求めてぐるぐると回転し、消えていく。
 炎がダメならと放たれた吹雪も同じだった。
 赤いスライムは雪玉や氷を喰って、その身を更に巨大化させた。
「殺しただろう。なりそこないの男女をさ」
 巨大なスライムの足下に、金髪の少年が立っていた。
 少年の足下には、上半身をスライムに溶かされた魔族の亡骸があった。
 少年の手には、その魔族が身につけていた青と紫の糸を編み込んだベルトがあった。
 このごろつき共が、《なりそこないの魔物》の髪で作ったベルトだ。
 その仲間たちも、なりそこないの身体で作った服や小物を身につけていた。
「ねぇ、返してくれないかなぁ。それがないと、墓に入れるものが無いんだ。ボクがどんなに言っても、わかってくれないみたいなんだ。ボクが側にいるのに。パパとママが居たらって、考えるのを止めてくれないんだよ。困っちゃうだろう?」
 金髪の少年は、一人一人を指さした。
 ごろつきは皆、成人したてぐらいの若いグループだった。
「返すも何も、俺たちは別に――――」
 少年が指を鳴らすと、しゃべりかけていた魔族の若者がスライムに飲まれた。
 刺繍の施されたリングをつけた腕だけが、地面に落ちる。
 悲鳴が上がった。
「この、なりそこないがっ」
 柵に押しつけられるようにして、分離したスライムに捕らえられていた魔族が、拘束されてる自らの脚を断ち、黒い翼を広げた。
 羽ばたき一つで、旋風が吹き荒れ鉄作がひしゃげた。
 牙をむき出しにし、爪が地面を削りながら、ぼうっと佇む少年の首を狙う。
 細い首筋は包帯が巻かれていた。
 包帯の位置で挟み込むように、爪が迫る。
 赤い飛沫が飛んだ。
「殺った――――ひっ」
 魔族の爪は赤い液体に阻まれていた。
 飛び散ったはずの滴が震え、爆発的に膨れあがると、魔族の翼を絡め取った。
 包帯の隙間、服の隙間からあふれ出た赤い液体が、翼のある魔族を月夜へと浮かび上がらせ、小さな断末魔ごと押し潰す。黒い翼が散った。
 金髪の少年は、酷薄な笑みをうかべた。
 緋色の瞳に、スライムと鮮血とがいりまじる様が映る。
「ばぁか」そう言って、舌を出した。
 少年は服の下に、スライムを忍ばせていたのだ。
 包帯の裏側に、袖の内側に、靴の中に、そうと見て取れないように。
 なればこそ、少年が包帯を巻いている割に不自由なく動いているのもわかる。
 まるで、赤いスライムと金髪の少年が二人で一つの魔物であるかのように、彼らは常に共にいた。


 でも、ここが『彼』の限界。
 スライムを身に纏わねば、ろくに戦えぬと言っているようなもの。
 どちらが司令塔か明かしてしまったようなもの。


 二区画離れた建物の屋上から『彼』の姿をのぞき見ている者たちがいた。
 水球に映る姿を見ながら、言葉を交わす。
「あれが、ここらで評判の《緋色の魔物》か」
「ええ。これ以上近づかない方が良いわよ。あの子供、感が良いから」
「魔物を使うなりそこないとは珍しい。あのスライムはやっかいだな。スライムと言えば、魔法で焼き払うのが相場だと言うのに、逆に魔法を喰らうとは……。どれだけ魔族を喰らえば、あの様な変異するのか」
「あら、無理に倒す必要があるのかしら。頭は子供の方でしょう」
「それもそうか。で、どうする。ここから頭を打ち抜くか? 今なら容易いぞ。もっとも、あの小僧の頭をかち割っても、スライムが詰まってるかもしれんがな」
 呵々と笑いながら指を鳴らす、それだけで岩にこぶし大の穴が空いた。
「いやよ。そんな、すぐに楽にしてやるなんて。うちのグループも、アイツにかなり喰われたんだから。そのお返しをしてやらなきゃ」
「今も、ああして釣り餌にしておいてよく言うわ」
 あそこで緋色の魔物に狩られているのは、女の派閥にいた魔族たちだ。
 《緋色の魔物》が、とあるなりそこないの遺体を探すのに固執していると聞いて、特徴にあった品物を持たせたのだ。
「あら、私は子供たちにプレゼントを贈っただけよ。これからずっと誇らしげに身につけてくれたら、私も嬉しいわって囁いてね」
 女は何の悪びれも無く言った。
 そうして、街中で見せびらかしながら歩いて、《緋色の魔物》に目を付けられたのは彼らの責任だと。
「それに貴方も魔族なら見てみたいと思うでしょう。あの得意げな顔が苦渋に満ちるのを、あの瞳が絶望で濁らるのを。世界はかくも広く、恐ろしいのだと言うことを魂に刻んでやりたいと思わない」
 魔族らしい残忍な笑みをこぼし、陶酔しきった様子で女が語る。
「頷けん事も無いがな。あれは確かに、数多の魔族喰らって、なりそこないとは思えんほどの魔力を貯め込んでいる。あの血肉と慟哭に、たかが魔物と言い捨てるには惜しい価値があると認めよう。それで、お前はその欲望をかなえるために、何を考えた」
「いやね。子供たちを生け贄にするんだもの、やる事なんて決まってるじゃない。《緋色の魔物》は可哀相に誰からも教わらなかったのね。魔族の基本を何もわかってない。そうでしょう?」
 男の問い掛けに、女は嬉しそうに言った。
 女の足元に輝くのは、鮮血の魔法陣だ。
 水球の向こうで《緋色の魔物》が魔族を一人殺す度に、術式が埋まっていく。
 魔族は、呪文や魔方陣なしに息を吸うように魔法を使う。
 魔方陣の手を借りるようでは、遅すぎて実戦向きではないと笑われるものだ。
 それを女はやろうとしている。
「なるほど、古典に帰るか」
 男は合点したと、自分の顎をなでた。

 《緋色の魔物》は、無知で哀れね。
 魔界が今の姿になったのは、互いを呪い続けた結果だというのに。



・/・


 冷たい川の水で丹念に髪をすすぎ、手足をこすると黒い粉や塊が流れていった。
 こびりついた血や肉片だ。
 川縁では、どす黒く汚れた服を、半身が食べて処分している。
 イサンテは腕のを嗅いで、血の匂いが残っていると果物の皮で肌をこすった。
 早く家に帰りたいけど、仕方ない。
 血や怪我に敏感なイトラを怖がらせないために、余計な物は持ち帰りたくなかった。
 包帯を巻き直して、茂みに隠しておいた服に着替える。
 あとは髪が乾くのを待てば良いと、イサンテは寝転んだ。
 見上げる空は木々に覆われて薄暗く、小さな虫のような燐光が漂っていた。
 触れても素通りする実態の無い光だ。
 川のせせらぎに耳を傾けて、静かな時間を楽しむ。
 はずだった。

 ――約束シタノニ。

 急に頭が刺すように痛んだ。
 同時に、酷い吐き気に襲われる。
 心配そうに寄り添う半身に、イサンテは脂汗を流して微笑んでみせた。
(病気? いや、呪いか。これは)
 声に出すのも億劫な様子で、イサンテは頭を押さえた。
 死の間際に呪殺をかけてくる魔族は多い。その対処法は至って簡単なものだ。
(この妄執が。失せろ)
 気を強くもつこと。心につけいる隙を与えないこと。
(きっと、森に戻ってきてくつろぎすぎたんだ)
 だから、珍しく呪いが発動したのだと、この時イサンテは考えた。
 ここにはイサンテと彼の半身しかいないはずなのに、すすり泣く声が聞こえてくる。
 イサンテは耳を押さえて、強く目をつぶると、もう一度、黙れと強く思った。

 ――……ちゃん。お兄ちゃんっ。

 頭に響く亡者の声は、女の子の悲痛な叫びに変わっていた。
 イサンテは目を開けて飛び起きた。
 用意していた土産も放り出して、彼の半身と共に駆けだした。
 息を切らして、濡れた髪が顔に張り付く。
 家が見えた。壁には大きな獣が引っ掻いたような傷跡が残っていた。
 扉は壊され、部屋の中は、砕けた食器や木片が飛び散っていた。
 つま先で今蹴ったのは、へし折れたかんぬきか。
「イトラっ! 何処だっ」
 妹の部屋に行った。
 ベッドはひっくり返り、綿が散らばっている。
 倒れた本棚から落ちた絵本が開いて、人形はズタズタに引き裂かれていた。
 窓はイサンテの言いつけ通りに閉じたままだった。
 妹は、ここから外に逃げていない。
「イトラっ」
 イサンテの耳には、妹の泣き声がずっと響いている。
 痛い、痛いと。怖い、助けてよ、と泣いている。
 他人の嘘をも聞き分けるこの耳は、出来が良すぎる。
 妹が何処で泣いてるのかわからない。
「兄ちゃんだぞ。もう大丈夫だから、出ておいで」
 小さな手が、袖を引っ張った気がした。
「イトラ。良か――――」
 ほっとして、振り返るイサンテが見たのは、台所のテーブルの上だ。
 これ見よがしに皿の上に置いてあるモノは、果物と一緒に盛りつけられて。
 妹が好きな赤い果実から溢れた汁が、床までしたたり落ちて。
 イサンテの動きが止まった。息を詰まらせた。
 あんなに好きな血の匂いを、今はどうしてか嗅ぎたくない。
 開け放たれた台所の戸棚、ああ、そこに妹は隠れていたのだろうか。
 こんな狭いところで、息を潜めていたのだろうか。
 小さな手足は、透き通るように白く、冷たくなっていて。

 ――約束シタノニ。

 と、皿の上のソレが言った。
 首には、あげたばかりの青い首飾りがかかっていた。
 頭の中が真っ赤になった。


・/・


 赤い。悲鳴。あざ笑う女。
 戦き。恐れ。ひしゃげる身体。

 緋色の魔物が、疾走していた。
 森の近くで野営していた魔族をただ殺して、喰らいもせず。
「ざまぁみろ。アンタの妹は『もう元には戻らない』っ」
 いい気味だと、魔族の女が笑っていた気がする。
 彼と彼の半身は、今はひとつだ。
 だってもう、名前が無いんだ。
 名前を呼んでくれた子が、居なくなったんだ。

 ――アノ人。アノ人ガ、腕ヲ引ッ張ッタノ。足ヲ引ッ張ッタノ。

 透き通るほどに白い腕が、指先から赤い滴をしたたらせて指さした。
 幼い声が望むがままに、潰して、引き裂いて。
 頬を伝う熱い滴は、返り血だと自分に言い聞かせながら。


・/・


 男が家に入ったとき、金髪の少年は妹の亡骸の前に座り込んでいた。
「何とも、凄まじいな」
 天上には大穴が空いていた。
 ここから、あの赤いスライムが飛び出したのだ。
 へたり込んだ少年の頬を絶え間なく、涙がこぼれ落ちる。
 その涙をぬぐっても、少年は何の反応も示さなかった。
「なりそこないは自分の怪我より、同種の死が堪えるとは聞いていたが……」
 緋色の双眸に、狼男の姿が映る。
 濡れた髪を掴んでも少年は、魂が抜けたかのようにぴくりとも動かない。
 浅く胸が動いてなければ、ショックのあまりに死んだと勘違いしそうだった。
「恨むなら、目立ちすぎた己を恨むがいい」
 頭から食べようと牙の並んだ顎が開かれる。
 少年の背後から白い小さな腕が伸びて、狼男を指さした。

 ――コノ人ガ、首ヲ絞メタノ。

 どこからともなく、綺麗な鈴の音が聞こえた。
 少年の瞳に光が戻る。
「正気に戻ったか。だがっ」
 もう遅いと、閉じようとした顎を自分の腕で押さえていた。
 少年を掴んでいた左手が離れて、自分自身の首へと向かう。
「なっ、がっ」
 金髪の少年はその場で尻餅をつく、緋色の目は慌てる狼男の姿を見上げていた。
 骨が折れ、肉が引きちぎれる。
 狼男の周囲で、小さな光が爆発しているのは、魔法を使おうとしているからか。
 光に触れた壁や食器棚に穴が空くから、本当は大きな爆発を起こすような魔法なのかもしれない。
 綺麗な鈴が鳴る。この部屋に鈴は見当たらないのに。
 狼男が自らの手で顎を外にへし折り、己の首を切り落とすのを、金髪の少年はただ見つめていた。
 狼男を狂わせた鈴の音は、少年から鳴っていた。


・/・


 スコップを突き立てる。
 鼻歌を歌いながら、イサンテは土を掘った。
 イサンテの胸元で、青い石に蛇が絡んだ首飾りが揺れていた。

 ――イサンテお兄ちゃん。

 隣で、妹が掘ったばかりの穴の中を覗き込んでいる。
 少しばかり身体が透けて、足が地面についていないけれど、妹は元気そうだった。
「イトラ。危ないから、少し下がっててね」
 はぁい、と答えて、イトラは隣の墓石の上に腰掛けた。
 これはイトラの両親の墓だ。遺体はみつからなかったけど、代わりにこの間取り返した髪を埋めてある。
 傍らに置いてある籠から、小さな手足と薄紫色の髪が外に飛び出していた。
 綺麗だから使うのがもったいないと取っておいた布にくるまれた妹を、土の上に横たえる。
 川で綺麗に洗って、傷跡やバラバラになった部品を包帯でつなげて、血のこびりついた髪を梳き、新しい洋服を着せた。服はイトラが自分で選んでくれた。
 イトラがいつ起きても寂しくないように、お気に入りの人形とお花の絵本を一緒に並べて、表面はしっとりしているのに固く冷たくなった皮膚に口づけてから土をかける。
 それを、イトラが墓石に腰掛けて見下ろしている。

 ――ねぇ、お兄ちゃん。街に行きたいの。約束でしょ。

 土の山にスコップを突き立てて、イサンテは服の袖で汗を拭いた。
「そうだね。もう、お熱は出ないもんね」
 鈴を転がすようにイトラが笑った。
 それは生前には無かった邪悪さを秘めていたが、イサンテの目には変わらない可愛い妹の笑顔にみえた。


  ./.


 夕暮れの街並みに、鐘の音が響いた。
 遊んでいた子供が手を止め、パン屋の亭主も捏ねていた生地を置いて、顔を上げる。
 この街に、鐘など無いはずなのだ。
 その鐘は、まるで頭の中に直接響いてくるようだった。


 からん、からんと、イサンテが鐘の音を口ずさむ。
 街の門番を、ボクの半身が壁に叩きつけた。
 いつも大したチェックもしない、昼寝ばかりしていた門番だ。
 外からごろつきが入ってくるのを全部素通り、見て見ぬふりの役立たず。
 ぶくぶくと太らせた腹一杯に、ボクの半身を飲み込んで、腹の内側から溶かされた。

 それを見て、嬉しそうにイトラが手を叩いた。
 妹は、少し趣味が変わったようだ。
 こんなに喜んでくれるなら、隠す必要はなかった。
 もっと早く、連れてきてあげれば良かった。


 からん、からんと、イサンテが鐘の音を口ずさむ。
 街では宴が始まっていた。
 怒声と悲鳴と、殴り合い、刺し合い、噛み砕く。
 どうせ、この街にいるのは皆同じ穴のムジナ、脱走兵崩れやごろつきばかり。
 戦場に怯えて逃げ込んで、怖い上司がいなけりゃこれ幸いと威張り散らす。
 枷の外れたボクの半身が魔族を次々食べていく、膨れあがったその身はもう、城壁の上から溢れてしまいそうだ。

 それを見て、嬉しそうにイトラが手を叩いた。
 妹は、少し趣味が変わったようだ。
 雨どいからしたたり落ちる血のリズムに合わせて、排水路に集まってきた赤い水の上で踊ってる。
 もっと、もっとと、せがんでくる。


 からん、からんと、イサンテが鐘の音を口ずさむ。
 大きくなったもう一人のボクの目から、街が一望できた。
 まだ半分も食べていない。
 ケーキの端を、ほんの一口囓っただけだ。

 火の手が上がる、誰かの使った魔法が建物を崩す。
 イトラに教えられて、初めて知った。

 この耳で、人の心が聞こえるのなら。
 この口で、人の心を操れるのだと。
 イサンテの今の感情を、人に押しつけることができるのだと。

 ――あはは、あはははっ。

 笑っているのは、イトラか、イサンテか。
 それとも狂った街の人たちか。
 どうでも良かった。
 だって、イトラがこんなにも楽しそうに、心の底から笑ってくれているのだ。
 それだけで幸せだった。

 ああ、この夕日がいつまでも沈まなければ良いのに、夜のとばりは下りようとしている。
 それが惜しくてしょうがなかった。




>>後編に続く
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