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無能のアルマ-帰還者(8)

Categoryゼロの刻
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 時計の秒針が音を刻む。
 あくびをひとつ。
 伸びをして隣をみると。髪を梳いてるアルマの後ろ姿が見えた。
「それにしても、よくお前も賛成したな。アルマ、武勲を立てるって事は具体的に何をするのか、ちゃんとわかってるのか?」
 鏡の中のアルマがこちらを見返した。
「え? でもガルガ。あれって要するに、部隊の皆一つになって、同じ目標に向けて頑張っていきましょうって事ですよね? 喧嘩を止めて、仲良くしてくれるなら賛成するに決まってるじゃないですか」
「……まぁ、簡単に言えばな」
 虐殺だ、首をとれだ、物騒な単語が飛び交っていたが、まとめてしまえばアルマの言うとおりだ。
「部隊の活動内容が極端に変わるわけでもないし、逆にこの戦争に終わりがあるってわかったんですよ。私たちはその終わりを見届けることはできないかもしれないけど、良かったじゃないですか」
 そう言って、アルマは朗らかに笑った。



FAMILIAR ~ゼロの刻~ -->説明書


   帰還者(8)


キーワード:【白】、魔界、兵士、なりそこないの魔物、異界の門
 思えば、この時すでに答えは出ていたのだ。
 魔族のなり損ない。その変わり種。
 彼女は、当たり前の事しか言っていなかった。
 遠い昔、この魔界が魔界と呼ばれるようになる前、この大地に果ても終わりも無かった頃は、どの種族も助け合って生きていた。

 大地に果てが出来てから。
 無限に広がっていた世界が、多くの人と土地もろともに消失してしまったから。
 少ない土地を奪い合って、互いを呪って、人も自然も様変わりしたというのに。
 彼女の言葉は、果ても終わりも無かった頃の、普通でしかなかったのに。

 それこそが、彼女の能力で。
 どうして、見誤ったのか。

 この世に蔓延する呪いが、この眼をふさいだのか。
 変わり者で片付けて、考えるのを止めてしまったからか。

 放っておけば、彼女の願いが変質することぐらい、わかっていたのに。


  ・/・


 訓練場の個室には、沢山の武器と防具が並べられていた。
 ユミルが一つ一つの説明をしながら、アルマに着せていく。
 長袖のシャツの上から海竜の皮で作った胸当てや手袋、ブーツをつけ、その上から鎖帷子と金属鎧を身につける。金属鎧には、所々に海竜の鱗が使われていた。防寒を兼ねたマントを着け、最後にお団子頭の上から兜を被った。
 ここまで着込んでしまうと、中に入ってる者の性別もわかりづらい。
「アルマちゃん、重くない? 動きづらかった言ってね」
 全身鎧姿で、アルマはその場で飛び跳ねたり、くるりと回る。
 兜のスリットの入った可動部を開けて、アルマの素顔がみえた。
「大丈夫です。ガルガをお姫様だっこ出来るぐらい平気ですよ!」
「やらんでいいっ」
 ガルガは、笑顔で実演してみせようと腕を伸ばしたアルマを押しとどめる。
 ふと、ユミルと眼が合うと、物凄い形相で睨まれたあげく床につばを吐かれた。
 アルマと寝室を共にするようになってから、いつもこんな調子だった。
 ユミルの身分は公的に明らかにされ、今は《鍛冶師》兼副隊長に肩書きを変えていた。
「鎧とマントには、ガルガの服と同じ術を施してあるけど、過信はしないように。アルマちゃんは前に治癒魔法を無効化してたから、こっちも何処まで効果があるか」
 アルマの格好は、他の兵士たちと比べて重装備だった。
 治癒魔法が効く他の面々は、革鎧に一部金属を用いる程度で済ませていた。
 ガルガに至っては、布の服のみである。
「アルマちゃんに望む役割は、《皆殺し》の護衛だ。この間、自分で体当たりしてたから分かってると思うけど、ガルガは霧を突破されると脆い。うちで安定して魔族と戦えるのは、こいつだけだからね。失うわけにはいかんのさ」
 これまで、黒い霧の中で活動できる者は居なかった。
 ガルガが生み出す黒い霧は、魔法も炎の吐息も自然物も何もかもを殺す。万物に宿るはずの魔力をも殺す。ゆえにその亡骸は物ですらない。一見、砂の様でも、魔力が殺されたそれは、何の命も育まないし生まれない。
 これだけを見れば一見、《皆殺し》は無敵なように思える。
 だが、ユミルに言わせれば、弱点だらけなのだという。
「霧が全てを砂に変えると言うなら、出てないときを狙えば良い。長距離からの狙撃? いやいや、霧が無ければガルガはただのなりそこないだ。討ち取る手段は幾らでもあるとバレてしまう。だから、能力を見せた相手は全員殺せと言ってるのさ」
 《皆殺し》の姿は、遠見の魔法では捕らえることができない。
 遠見の魔法に限らず探知系の魔法は、どれも自分の魔力を一定方向に放出して、反射して戻ってきた映像を捕らえるものだ。しかし、《皆殺し》に触れた魔力は砂へと変わってしまい、術者の元には戻ってこなくなる。だから、敵の本国からこちらを伺っている魔族から、こちらの正体を探れないのだ。どんなに水晶球に念を込めても、映るのは反射した自分の顔だけである。
「それに、世間になりそこないの能力が知られていないように、あたしたちの知らない術や武器があってもおかしくない。アルマちゃんには、そういった外敵に備えて欲しいんだ」
「はいっ。えっと、ガルガの霧の中で原形をとどめている物を見つけたら、壊せば良いんですよね」
「そう言うこと。歯が立たないようならガルガと一緒にそいつから離れる。……まぁ、最初は魔物退治から初めて貰うから、ガルガと出る事になるのは先の事になるけどさ。自分が、どういう役割を望まれてるかは覚えておいて」
「はいっ」
「それじゃ、これからアルマの能力を調べようか。今日は鎧の試着も兼ねてるからね。動きにくかったり、不自由を感じる箇所があったら遠慮無く言ってね」
 訓練場の広場には、グレゴールの他にも数名、なりそこないの能力者が待っていた。
 アルマが何処まで魔法や能力を無効化できるか、確認するためである。
「それじゃあまずは、《皆殺し》の中で装備が無事か確認しようか。ガルガ、頼むよ」
「よろしくお願いしますっ」
 訓練用に長い柄の金槌を手にして、アルマが頭を下げた。
 この武器にも、《鍛冶師》の保護がかかっている。
 結果、《皆殺し》の中で、アルマ自身と装備品の両方は無事だった。ユミルに言われて、霧の中でアルマの前髪を一本切ってみると、髪の毛はたちまちに崩れてしまった。
「本体から切り離されたら効果なしと。ガルガ、もういいよ。次はグレゴールと交代だ」
 ユミルがリストを見ながら、次々指示をした。
 威力の弱めた汎用魔法を系統順に試していく。
 魔力に地水火風の属性を持たせて威力を高める攻撃魔法の類いは、グレゴールが徐々に威力を上げていく。
 催眠や暗示といった精神に作用する魔法も、アルマにかからない事が発覚した。
「ふむ。これはなかなか強力じゃぞ。探知魔法にも引っかからないとなれば対魔術において、これ以上の逸材はおらんて」
 感心したように、グレゴールが言った。
 隣で見ていたガルガは、腕を組み顎に手をあてた。
「でも転移魔法はどうなんだ。あれはアルマにも効いたぞ」
「それは、ガルガ。お主が手を握っていたからじゃろう。転移魔法は荷物も一緒に飛ばせるからのう。ほれ、転移したときに服だけ取り残されんのと同じじゃよ。魔法の効果に主従関係があるもの。今言った転移魔法ならガルガが主で、荷物が従じゃな。アルマが無効化するのは自分が主になる魔法で、従の時は効果がでるのではないかな」
 まぁ、まだ試料が少ないから断言はできんがの、とグレゴールは自分の仮説を語った。
 汎用魔法のチェックが済むと、次は何処まで、なりそこないの能力も無効化できるか調べることになった。
 《千里眼》はアルマの肉体で視界が遮られると答えた。
 《爆弾魔》が起こした爆風は、アルマの前髪一つ揺らすことができなかった。
 クーリアの双子は、アルマに髪を切ってみて欲しいと言った。
「僕ら、同じ髪型になっちゃうからさ。アルマに切って貰ったらどうかなって」
「中性的な髪型も嫌いじゃ無いけど、もっと好きにしたいわよねー」
 アルマは双子の男の方を短く刈り上げてみたが、結局、元の髪型に戻ってしまった。
「うーん。残念。アルマの無効化は、外部への持続性は無いみたいだね」
「あら、落ち込まなくて良いのよ。私たち、今の髪型も好きだもの」
 そう言って、双子は良く似た顔で笑った。
 検査は夕暮れまで続いた。
 皆で、ああでもない、ここでもないと相談する。
「やっぱり、通り名は《怪力》で良いんじゃないか?」
 ガルガが提案すると、ユミルから否定の声があがった。
「だから、怪力は違うって。それがアルマの能力なら、《千里眼》が結界の先を見通すように汎用魔法による防御を貫通しないとおかしい。アルマの怪力は、汎用魔法の範囲を超えてないんだ」
「あの~、その通り名って無いとまずいんですか?」
 おずおずと全身甲冑娘が手を上げた。
 お互いの腕を絡めた双子がくすくす笑う。
「魔族に売り込むなら、本名はさけなきゃ。僕らの名前だけじゃ、どんな力があるのかわからないじゃないか」
「そうそう、私たちはこんなに優れた商品ですよって、魔族好みの名前をつけるの。その点、《皆殺し》は受けが良いのよね」
「ユミルはイメージ戦略だって言うんだよ。《爆弾魔》じゃなくて、《演奏家》が良いって言ったのに」
 そう言って、《爆弾魔》が指を鳴らした。
 小気味よい音が風になって部屋を吹き抜けた。
 必要なのは爆弾じゃなくて、音なのだ。自分が生み出した音に質量を持たせて何倍にも膨らませるのが、《爆弾魔》の能力だった。
 いじける《爆弾魔》の頭をテムニィが押さえた。
「諦めろって。俺みたいな後方支援型ならまだしも、前に出るのが演奏家じゃ格好がつかないだろ。行き先はお祭りですかって笑われちまう」
 グレゴールが風で舞い上がった自慢の髭を、手で真っ直ぐに戻していた。
「なら、いっそ無効化について触れるのはどうじゃ? 対象が自分自身に向いている時のみだとしても、あれはなかなかに強力じゃよ」
 ユミルが顔をしかめた。
「強力すぎるのが心配だね。魔族は上位であるほど魔法に頼りきってる。あまり刺激的すぎる名前も控えないと」
「だったら、間違ってないのに誤解する名前にしようよ」
「だったら、間違ってるけど正しい名前にしましょうよ」
 双子が声を揃えて言った。
「それなら――」
 この日、アルマには能力名《無能》が正式に採用された。


  ・/・


 今日は暑いくらいに天気が良かった。
 ガルガは黒いローブを脱ぐと、井戸の水で顔を洗った。
 訓練場では、アルマがクーリアの双子と剣を交えているところだった。
 実戦同様の装備に早くなれるため、アルマはフル装備である。
 金属鎧が日差しを反射する。中はさぞ暑いだろう。
 ガルガは、再び水を汲むと置いてあったヤカンに注いだ。
「ふぅん。ペットの訓練か」
 いきなり耳に生暖かい風が吹き付けられた。
「ぬぉわっ。てめぇ、ミルクっ。無言で後ろに立ってんじゃねぇっ!」
 ガルガは背後に立ってた魔王の使い魔から、逃げるように距離を取る。
 今日の使い魔はいつもの鎧姿ではなく、私服だった。
「ミルクちゃん、だ。ガルガは、本当に物覚えが悪いな。……ふふ、だがそうか。ガルガは耳が弱いか。伊達に長くはないな。覚えておこう」
「気色悪いこと言うな!」
 思わず自分の耳を押さえながら、ガルガは怒鳴った。
「ふむ。しかし、あれは訓練になっておるのか? 相手役が力不足のようにみえるが」
「おい、聞けよ。人の話」
 だが、使い魔の指摘ももっともだ。
 部隊の白兵戦が得意なメンバーで集まっているが、アルマのパワーとスピードに、誰も追いつけていない。
「魔力による身体能力補正は、アルマの一人勝ちだからな」
「ふむ。なりそこないの癖して、能力抜きでの真っ向勝負か」
「これはアルマが、武器の扱い方や身体の動かし方を学ぶ訓練なんだ。能力を使ったら意味がない」
「ふむ。そうか。相わかった」
 そう言って、使い魔が右手を振り抜いた。
 冷気が集う。氷の結晶はすぐに大剣へと姿を変えた。
 物品召還。自分の持ち物を呼び寄せる術だ。
 一目見ただけで、その大剣が強大な魔力を宿している事が分かる。
 魔王様から下賜して頂いた代物かもしれない。
 使い魔は翼を広げた。
「で、あるなら、我なら相手に不足なかろう。――アルマっ、避けて見せろ!」
「は……? おいっ」
 呼び止めようとしたガルガの声を、使い魔の羽ばたきで生まれた風がかき消した。
 使い魔は地面すれすれを疾駆する。大剣の切っ先が石畳とこすれて、高い音を立てた。
 瞬く間にアルマとの間合いを詰めて、手にした大剣を切り上げる。
「へっ? うわっっきゃーっ」
 アルマが悲鳴をあげ、不格好ながらも後ろへと飛び退いた。
 初撃を躱すも、使い魔の動きは止まらない。
 二手、三手と、左右に避けて、最後にハルバードの柄で受け止めた。
 だが、受け止めたど真ん中から柄が割れる。
 当たり前だ。魔王の使い魔が用いる魔剣を、訓練用の模造品で止めれるものか。
 ぎゅっと目を閉じたアルマの前で、使い魔の剣が止まった。
「うむ。動きは悪くはない。……が、武器が悪いな。おい、実戦用の武器を持ってこい。なまくらでの訓練なんぞ。何の役にも立たたん」
「は、はいっ」
 大慌てで、アルマがユミルの所に走って行った。
 と、使い魔は、自分を見ているなりそこないたちの視線に気づいた。、
「訓練を代わってやろうと言うのだ。貴様らは、他所に行くなり休むなり好きにしろ。近くに居て巻き込まれても、我は知らんぞ」
 魔王の使い魔だ、と誰かが囁く。
「全員、今日はもうあがって良いぞ。魔王の使い魔が扱う魔剣相手に性能テストできるなら、これ以上の物はないからな。ご苦労だった」
 ユミルが声を張り上げる。
 そういうならと、同僚たちは剣を収めた。
 帰宅する同僚たちと入れ替わるようにして、ガルガは使い魔に駆け寄った。
 律儀に水の入ったヤカンを持ったままだ。
「おい、ミルク。お前、何考えて」
「ふん。我が訓練をつけてやろうというのだぞ、喜べ。安心しろ。全力はださん」
「切り捨て御免が出来る奴に言われても、不安しか無いんだが……」
「そうか? この眼をみても、信じれぬか?」
「眼を見たからどうだって――」
 眼をあわせた瞬間、ガルガの視界が揺らいだ。
 暑さに目眩を起こしたかのような感覚の中、使い魔から目をそらせる事が出来ない。
 金縛りにあったように、身体が動かなかった。
 魅了の魔法だと、頭の何処かで囁く。
 使い魔は一瞬戸惑った様子で、それから楽しげに口を開いた。
「――『私の氷を貴方の熱で溶かして欲しい。その舌と唇で包んで欲しい。凍れる月夜に晩餐を。貴方は――』……」
 使い魔の声が、甘く耳に届いた。


 離れた所で様子をみていたユミルがつぶやいた。
「あー、使い魔の奴本気だねぇ。呪文まで使って……。アルマちゃん、あれがこの間言ってた魅了の術。わかる? ああいうのが怖いの」
「はい?」
 テーブルに並んでいる武器をみて、どれにしようか迷っていたアルマが顔を上げて、ユミルが指さした方向をみた。
 使い魔と抱き合ってる旦那の姿があった。
「いーーやーーああっ! だめーっ。ミルクちゃん、だめーーっ!」
 アルマは何でもいいから手に触れた武器を掴んで、走って行った。
 アルマが選んだのは、海竜のエラと骨で作ったハルバードに、切れ味が落ちない魔法がかかっているものだ。全体は桃色で、刃の部分は赤い朱色が入っている。
 アルマが力任せにぶん回したハルバードを、使い魔はガルガを抱えたまま避けると傍らに下ろして、アルマとの訓練を再開した。
 ガルガはしばらくヤカンを手にしたまま、ぼーっと立っていたが、はたと我に返ったかとおもうと、ユミルのところまで早足で移動してきた。
 地面にうずくまって頭を抱えているガルガに、ユミルが声をかける。
「気持ちよかった?」
「聞くな」
「あれが魔力で心を盗むって奴ね。なりそこないは魔力が低いから、そうそう他のを盗んだりできないし、やらないから、理屈はわかってたけど感覚では理解してなかったでしょ。訓練で呪文までは使わないしねぇ。……初体験はどうだった?」
「その表現やめろ」
 《皆殺し》のガルガは、完全に落ち込んでいた。
 隣に置いてあるヤカンが、余計に哀愁を誘う。
「ねぇ、ガルガ。ひとつ思いついたんだけど。アンタがミルクちゃんと付き合って、あたしがアルマちゃんと付き合えば、全員幸せに」
「ならねぇよ」
 ユミルは肩をすくめた。
「ほら、立ちなよ。幾つ、魔力を打ち込まれた。解除してやるから。アンタがそんなんじゃ、戦場で役に立たないだろ。ほっとくと、次はもっと簡単に術にかかるようになるよ。……まぁ、もっと凄い体験したいってなら、あたしは止めないけど」
「お願いしますっ!」
 ガルガはすぐに立ち上がると、ユミルにすがりついた。
 元の魔力に差がありすぎて、自力では魅了の術を解除しきれないのだ。
「んじゃ、ガルガ。じっとして、声もあげるな。男のうめき声なんて気持ち悪いもの、聞きたく無いんだから」
 ユミルの光彩が縦に細くなる。犬歯が伸びて、舌先が二つに割れた。足はなりそこないのままだった。
 ユミルはガルガの右手を手に取ると、見えない何かに噛みついた。
 ゆっくりと、見えない何かを引き抜くと、地面へと吐き捨てる。
「次は? 何処を触られた」
「背中、から……心臓のあたりを」
 ガルガの額には汗が浮いていた。
「まーた面倒な位置に……ああ、良いよ。そのまま、じっとしてな」
 ユミルにのしかかられて、ガルガは後ろ手にテーブルに手をつく。
 ユミルの細い金髪が、ガルガの腹部にかかる。
 小さく形の整った唇は、ガルガの身体にギリギリ触れない場所で、見えない何かに噛みついた。
 背中から入ったものを、前から引き抜く。
 その間、ガルガはテーブルの縁を強く握っていた。
「で、最後は?」
「左耳の付け根。首のあたり……」
 嫌そうにユミルが顔を歪めた。
「かーっ、首筋かよ。ガルガ。息を止めて、呼吸するな。汗を掻くな。アンタの息があたしにかかったら、止めるかんね。あー、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!」
 ガルガは必死に頷いた。
 汗を掻くなと言うのは無理な話だが、要するに滴が落ちなければ良いのだろう。
 肌に触れるか触れないかのところを、ユミルの舌がかすめる。
 ユミルは零れる髪を耳にかけながら、最後の見えない何かに噛みついた。
 最後の一本を引き抜かれて、ガルガがほっと息を吐いた。
 ユミルは、ヤカンの水をコップに注いでうがいしていた。
 三回、念入りにうがいしてから、やっと口を開いた。
「アンタ。魔族との付き合い薄いから知らないんだろうけど、魔力で心を盗むのなんて常套手段なんだからね。ちゃんと対策しなよ。使い魔に何て言われた。魅了の術は個々で呪文が違うんだから、反論を用意しておきな」
「ぐっ。……い、言うのか」
「別に自分でできるなら、それで良いけど。あたしも、野郎から野郎への口説き文句なんて聞きたくないし」
「頼む。聞かないでくれ……」
 ガルガは、もう二度と使い魔とは目を合わせないと心に誓った。


 使い魔の手から剣が消える。
 汗だくのアルマは、兜を外して、大の字に寝転んでいた。
「はい。あの、ありがとうございました。おかげで何からガルガを守れば良いのか、大変よくわかりました!」
 魅了の術、おそるべし。
 危うく、先日の勝利宣言をひっくり返されるところだった。
 そんなアルマの心境に気づいた様子はなく、使い魔は満足げに頷いた。
「うむ。礼を言うとは良い心がけだ。その態度に免じて、今後もたまに稽古をつけてやっても良いぞ」
 少しは疲れが取れたのか、アルマが飛び起きた。
「あの! ミルクちゃん! あのね。ガルガは、私と付き合ってるの」
「? だからどうした?」
「だから、ミルクちゃんの入る場所はないの。ちゅーは私とするんだからっ」
 アルマは、ほっぺたを膨らませて怒っていた。
 意味がわからないと、使い魔が首をかしげた。
「? 好きにしたら良かろう。我は我の好きにやるし、アルマはアルマの好きにしたらいい。魔族とはそういうものだ。……ああ、なりそこないは魔物だったか。魔法抜きだったとはいえ、意外に粘ったからな。つい、忘れていた。許せよ」
「え、うん。……ええっと、そういう意味じゃなくてね。うう……どう言ったら、わかってくれるのかな」
「ほれ、あっちも好きにやってるではないか」
 使い魔が顎をしゃくる。
 アルマが振り返ると、ユミルがガルガにのしかかってるところだった。
「ふむ。我の術は解除されたようだな。流石は貴族、オルタシア家最後の女児と言ったところか。……まぁ、ガルガも、ああも素直に我の言うことを聞くものだから、驚いたわ」
 使い魔のつぶやきなど耳に入らない様子で、アルマは全力で走って行った。
 アルマは大きな声は、離れた使い魔の所にまで良く届いた。
「ユミルまでーーっ! もう、ずるいずるい。私ちゃんと訓練してたのにっ。頑張ってたのにっ。ガルガは全然私を見てくれなかったーっ」
「あ、アルマ。首を掴むな、喉を絞めるなっ」
「もー、もー。ミルクちゃんとは何してたんですか。私も同じ事ガルガにするーっ。私だけのけ者になるのずるいーっ」
「とても口には出来ない、恥ずかしいことよねーぇ」
「ユミル、てめぇっ!」
「あーっ、耳まで真っ赤だ。ホントなんだ。……う、ううっ……」
「な、泣くなって……ミルクには、妙なこと言われただけで、」
「じゃあ、私もガルガが恥ずかしくて、人に言えなくなるようなことする!」
「何でそうなるっ!」
 魔王の使い魔は、いつの間にか笑ってる自分に気がついた。
「ああ、なるほど。魔王様が守っているのは、こういう日常でしたか。これは愉快。最下層に住まう魔物が、この国の誰よりも楽しそうに暮らしているとは」
 白く大きな翼を広げて、使い魔が空へと飛び立つ。
 高度の限界は塔と同じ高さまで。
 最上層、魔王様の居城は、水のカーテンに阻まれて肉眼で見ることは適わない。
「今の今まで、理解していなかった我の無知をお許し下さい。我が主よ」
 そう言って、使い魔は主の城に向けてお辞儀した。


  ・/・


 夕暮れを知らせる鐘の音に重なって、なりそこない部隊の緊急招集を知らせる笛が響いた。
 作戦室のテーブルに広げた地図の上に印を置いて、ユミルは状況を説明した。
「辺境の街が魔物に襲われてる。魔物は一匹、種族不明。街からの連絡は途絶えた。我々の任務は、この魔物退治と住民の救出だ」
 ざわめいた。
 魔物が、しかも一匹で魔族の街を壊滅させるなど、聞いたことがない。
 ガルガは、ユミルの置いた印の場所を確認した。
「ここはどんな土地なんだ。地図を見ると、見事に三国の境にあるようだが」
「そう、場所が悪い。混乱に乗じて、敵兵が街を奪いに来るぞ。ゆえに迅速な行動が求められる。テムニィ、討伐隊の指揮はアンタに任せるよ」
「わかった」
「アルマはテムニィについて、後方支援組の護衛。残りの人選は《千里眼》に任せる」
「は、はいっ」アルマの初陣だ。
 早速テムニィが、討伐隊に選んだ者たちの名を呼んで行く。
「俺も――」
「《皆殺し》は首都で待機。異論は許さないよ」
 ガルガも名乗り出ようとしたのを、ユミルが止めた。
「暴れてる魔物が一匹ってのが怪しすぎる。陽動臭い。主力が出払ってる間に、他の国境線から、団体様に来られでもしたらたまらないからね」
「そんなの、転移魔法を使えば良いだろうが」
「却下だ。転移魔法は封じられる恐れもある。下級魔族でも心得のある者が出てきたら、なりそこないが操る汎用魔法は使えなくなるぞ。なりそこないの転移魔法は、自分たちの領土内だからこそ使えるのだと覚えておけ」
「しかし、――」
「大体、お前の能力で何をする気だ? 救出作戦で、魔物もろとも市民も皆殺しにする気か?」
 ガルガは反論したい気持ちを噛み殺した。
 確かに、《皆殺し》で人命救助など、不釣り合いも良いところだ。
「ガルガ、私なら大丈夫ですよ。頑張ります!」
「アルマ。テムニィの言うことを、ちゃんと聞くんだぞ。――テムニィ、本当にやばかったら伝令を出せよ。すぐに行くから」
「はは、逃げ足に自信のあるメンツを揃えるよ」
「ちょっと、それって僕らが臆病ってこと?」
「テムニィの所に流れ弾が行っても、無視しちゃおうかしら」
「だーっ、双子の事を言ったんじゃねぇって」
 意地悪く言う双子に、テムニィが弁解した。
 出撃が決まった者立ちが、装備を整えに部屋を出て行く。
 それを横目で見ながら、ガルガはまだ渋った様子だった。
「俺か、アンタか、グレゴール。誰か一人は討伐隊に付けても良いんじゃないか?」
「あたしとグレゴールは魔族だ。なりそこないが手柄を立てないと意味がない。テムニィは戦う力がない分、誰よりも引き際を心得てるよ。――テムニィ、あたしらが残るから使える奴は連れきな」
 テムニィは、現地の地理を把握しようとしているのか、地図をよく見ていた。
「おう。……しかし、本当に街を襲ったのは魔物なのか? この辺りだと、犯罪者や脱走兵も多く入り込んでるだろ。連中が大人しくしているとも思えないんだが」
「脱走兵?」ガルガが聞き返した。
 テムニィは、少しユミルを気にした素振りをみせてから、説明した。
「辺境には正規の役人が居ないんだ。市民権のチェックも街の連中の采配に任せてる。賄賂の一つも用意すれば、簡単に街にはいれんだよ。んで、そういう所には、敵さんの兵士も人型に化けて紛れ込んでたりするのさ」
「スパイか?」
 次の疑問に答えたのはユミルだった。
「脱走兵と言ったろう。殺し合いから逃げ出した臆病者だよ。とは言え、本国に戻ったところで処刑されるからな。死に者狂いで街を守らんといかんのさ」
「知ってたのか」
 驚いた様にテムニィがユミルをみた。
「当然だろ。上は、全部見越した上で辺境をそのままにしてるんだ。ダリアロは人材不足だからな。使える者は敵兵でも使うさ」
「恐れ入ったよ」と、テムニィが肩をすくめた。
「ガルガは、まだ納得がいかないという顔だな」
「そいつらが、脱走兵を演じてるだけだったらどうするつもりなんだ」
「犯罪者も逃げ込んでると言ったろう。犯罪者にしろ脱走兵にしろ、目立って本国の役人に来られたら困るからね。互いに監視して、怪しい奴がいたらそのままにはしておかないだろうさ。――救出を急ぐ理由、外で暮らしてたテムニィならわかるな」
「どういうことだ?」
 少し躊躇ったあとに、テムニィは言った。
「なりそこないの魔物も辺境の街には居るんだ。市民権のチェックが無いから、雨をしのぐ屋根と食事を求めてさ。……治安が悪いからすぐに死んでくけどな。なりそこないの集落や、その後、首都で生活していた奴には、わからない所だよ」
 と、テムニィが自嘲気味に言った。
「……すまん」
「ああ、別にガルガたちを妬んでるわけじゃないんだ。そういう場所だったってだけで。……にしても、街を襲った魔物のの情報、本当に何も無いのか。少しでも聞けると、俺の《千里眼》で探しやすいんだけど」
「そうは言ってもねぇ。街の役人からの最後の通信だけどね」

 ――緋色の魔物、と言っていたそうだよ。




>>9に続く