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そこは歪んだ約束の地-***の家(後編)

Categoryゼロの刻
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<<前編


 うちのお兄ちゃん。

 うちはパパとママが居ないから、お兄ちゃんが働いてます。
 雨の日も、晴れの日も、お兄ちゃんは街に出て、お薬やお土産を買ってきてくれます。
 でも、あまり嬉しくありません。
 街から帰ってきたばかりのお兄ちゃんは、少し怖いです。
 たまにお兄ちゃんの赤い瞳が血に見えて、足が震えそうになります。
 しばらくしたら、いつもの優しいお兄ちゃんに戻るけど、そうしたらまた街に行ってしまいます。
 お兄ちゃんは、パパとママの代わりになろうとして、無理してる気がします。もう街に行かないで欲しいけど、私のお薬が必要だからお仕事を辞めれません。

 最近、お兄ちゃんは、名前で呼ばないと怒るようになりました。
 イトラのお兄ちゃんを止めちゃうよって、言うようになりました。
 少しずつ、怖いお兄ちゃんで居ることが長くなってきた気がします。
 もう、街に行かないで欲しいです。
 ずっと優しいお兄ちゃんでいて欲しいです。
 手を握ってないと、いつか、怖いお兄ちゃんだけになりそうで怖いです。

 あのね。お兄ちゃん。
 名前を呼ばなくてもね。
 お兄ちゃんは、イトラのお兄ちゃんなんだよ。
 何があっても、それは変わらないんだよ。
 大切なのは、名前じゃなくてね――。



FAMILIAR ~ゼロの刻~ -->説明書


   ***の家(後編)


キーワード:【黒】、魔界、悪魔、兄妹、殺人鬼、因果応報

 ふっと、ろうそくを吹き消すように、イトラの姿が見えなくなった。

 同時に、もう一人のボクの視界に小さく動くモノが映る。
 南の方から、見たことの無い一団が街に入ってきた。
 皆、似たような武装で身を固めている兵士だ。
 もう一人のボクを指さすと、散開し、こちらに向けて駆けてくる。
 イサンテは鼻で笑った。
 あの揃いの服は戦場で見覚えがあった。
 ダリアロの正規兵だ。
「ははっ。辺境の街なんて、とうの昔に見限ったものだと思ってたのに。こういう時だけ、足が軽いんだから」
 不快だった。不愉快だった。
 無粋な兵士が来たから、イトラは怖がって隠れてしまったのだ。
 もう一人のボクの視界に映る正規兵は、全部で四人いた。
 無駄なことに、もう一人のボクに向けて魔法を放ち、効果がないと知るや剣を抜いた。
 こんな奴らは早く片付けて、イトラを安心させてあげないと。

 からん、からんと鐘の音を口ずさむ。
 兵士たちは、もう一人のボクに向けていた剣先を互いに向けた。
 心に殺意を宿したことのある者であれば、この音に従わずにはいられまい。
 一人は隣に居た兵の首をはね。別の二人は、互いの胸を貫いた。
 後はまとめて、もう一人のボクが飲み込み、咀嚼する。
 正規兵と言ってもこんなものだと、イサンテは笑った。
「ほらね。兵士なんて街のごろつきと同じだよ。誰だって皆、他の誰かを殺したいんだ。イトラ。もう大丈夫だよ。怖い人たちは居なくなったよ」
 優しい声で呼びかけるが、イトラは出てこない。
 イサンテは、青い宝石のついた首飾りを強く握った。
「街は初めてだろ。ボクと一緒にいないと。……お兄ちゃんの側に居ないと。迷子になっちゃうよ」
 呼びかける声に焦りが混じり、背中に冷たい汗が流れた。
 握りしめた首飾りには、イトラと同じ目をした青い宝石がはまっている。
 なぜか、今はそれを見たくは無かった。
 手の平にに食い込む感覚だけが、首飾りの存在を伝えていた。
 さてはて、兄と妹、迷子になったのはどちらが先か。
 どうして、イトラにあげたはずの首飾りを自分がしているのか。
 そんなことは、考えたくなかった。

 からん、からんと鐘の音を口ずさむ。
 あんなに喜んでくれた妹が出てこない。
 イサンテの背後から伸びる、半透明の白い小さな手が金色の髪を梳いた。
 白い手が頭を撫でる度に、イサンテの顔色が悪くなった。
 すぐ後ろから伸びる手に気づいた様子もなく、自分のこめかみを押さえる。
 頭をよぎるのは、真っ赤になった台所と甘い血の匂い。
 皿には、妹が好きだった果実のジュースが注がれて。
 緋色の瞳が、悲しみに揺れた。
 どうして忘れることができようか。
 イトラが姿をみせるはずがない。
 だって、イトラはもう。
 鈴のような笑い声が、イサンテの後ろから聞こえた。
 邪気のはらんだその気配には、覚えがあった。

 ――ざまぁみろ。アンタの妹は『もう元には戻らない』。

 この時、確かに一度は、イサンテは正気に返った。
 どうして正規兵と渡りあおうだなんて、考えた。そんな事をしたって、危険ばかりで何の得もない。正規兵を敵に回せば、次は総出で狩り出される。
 己の身に何が起こっているのかは、すぐに理解した。
 呪いだ。魔族が生け贄を用いまで呪ったのだ。
 後ろに居る妹は、イトラであってイトラではない。呪いと混ざり合って、その魂は変質してしまった。兄を呪うための触媒になってしまった。
 頭が痛い。視界は目まぐるしく色が変わった。
 呪いに逆らっているからだ。
 意識をしっかり持たないと、たちまち飲まれてしまう。
「あの女。あの魔族が――」
 イトラをこんな姿に変えてしまった。
 殺しても殺したりない。
 もっと、もっともっと何度でも引き裂いてやれば良かった。
 あんな簡単に殺してやるんじゃなかったと悔やんでも、もう遅い。
 今やらないと行けないことは―――。
「――――っ!」
 と、正気に戻りかけたイサンテの思考を、足への激痛が阻害した。
 次は指先が、次に肩の肉が、少しずつそがれていくような痛みだった。
 もう一人のボクの視界に、素早く建物の間から間へと抜ける人影が映った。
 手にハルバードを握っている兵士だった。
 兜で隠れていて顔は見えない。翼もなく爪や牙も見当たらない、細身で小柄な体つきだ。
 その兵士が、もう一人のボクの攻撃をかいくぐっては、少しずつ切り落としていく。
 切り落とされた欠片は地面にべちゃりと広がるとそのまま、元には戻らなかった。
 身体が少しずつ死んでいく。
 痛みと怒りで、イサンテはさっきまで考えていたことを忘れてしまった。
 いいや、覚えていたが。怒っていた相手は、魔族の女ではなく、この兵士だったと誤認した。
 呪いが記憶を蝕む。
 こうしてイサンテは、正気に戻る機会を失ったのだ。



 華奢な兵士が、兜を放り捨てた。
 なりそこないの女だ。茶色い髪を三つ編みにして、頭の後ろに一つにまとめている。こちらの指先の動き一つを見逃すまいと、真っ直ぐにこちらを睨んでいた。
 一瞬、イサンテは兵士の素顔に目を奪われた。
 その凛とした佇まいに見惚れ、痛みで我に返った。
 手の平が切れ、肘が断たれ、鼻を落とされる。
 少年の身体には傷跡一つないが、もう一人の身体は傷だらけだった。
 顔が崩れ落ちる気がして、イサンテは顔を押さえた。
「あいつ、あいつ、あの女っ」
 指の間から緋色の瞳が地面を見つめる――もう一人のボクが女を見下ろす。
 あの武器がおかしいのだ。
 あれに斬られると、分離できずに細胞が死んでいく。
 だったら、斬られる前に、こちらから分かれてやればいい。
 斬られる前に分離して、女の肩を焼いてやった。
 ざまぁと歯をむき出しにして、イサンテが嘲り笑う。
 どこもかしこも痛いのに、身体が冷える。
 服が、汗でぐっしょりと濡れていた。
 女はすぐに肩当てを捨てた。
 降り注ぐ赤い液体をマントで防ぐと、布が溶ける前に投げ捨てる。
 金属鎧の下にもまだ革鎧を着込んでいた。
 直接肌に触れなくては殺せないのに、鎧を脱ぎ捨てるほどに女の足が速くなる。
「この女、どれだけ厚着してんだよっ」
 女兵士は、綺麗な顔をしていた。
 ほどけた長い茶髪が女の動きに合わせて軌跡を描く、その目は活力に満ちていた。白い胸当てとハルバードはどちらも同じ素材で出来ているのか、淡い桃色が混ざっていた。
 はたとイサンテは気がついた。
 女を見下ろしていたはずが、今は向かい合わせになっているではないか。
 もう一人のボクの身体は、今や女より少しばかり大きいぐらいにまで縮んでいた。

 黄昏時はもうおしまい。
 狂乱の祭りは、これでおわり。
 星の瞬く、夜が来た。
 眼前に迫りくる赤い刃は止められず。
 イサンテは怯み。少年の身体が、わずかに後退した。
 やっとイサンテは、もう一人のボクを逃がすことを考えた。
 だけど、その判断は遅すぎた。
 赤一閃。ブツリと何かが切れる音がした。
 緋色の両眼を押さえて、イサンテはもんどり打って倒れた。
 倒れた時にぶつかったのか、何か物が落ちる音がした。
 斬られたのはもう一人のボクで、この身体じゃないのだと必死に自分に言い聞かせる。
 頬に触れる石畳は固くて冷たい。
 視界が涙でにじんだ。
 自分の事なのに、もう一人のボクが何処にいるのかわからない。
 どこもかしこも痛みを伝えてくるのに、気絶もできない。
 きっと、この身体が斬られたわけじゃないからだ。
(――殺される)
 指が震えて冷え切っていた。
 石畳に爪を立て、街の外へと這いずる。
 少しでも遠く、一歩でも遠くへと。
(死ぬのは嫌だ。死ぬなんて嫌だ。あんな風に死ぬのは嫌だ)
 今はもう誰だったか忘れた、バラバラの死体が頭をよぎった。
 腹を割かれ、内臓ひとつひとつを潰されていくような幻痛に、上手く呼吸ができない。
 何とか門を抜けてたところで、とうとうイサンテは胃の中のものを吐きだした。
 自分が吐いた物の上にうずくまる。
 手足は痺れて感覚がなかった。
 これは、もう一人のボクの痛みだ。
 ダリアロの兵が、僅かに残ったボクの肉片を潰して回ってるのだ。
 近くの茂みから音が聞こえて、イサンテは身構えた。
 顔を上げると、それは、弱々しくも見慣れたボクの半身だった。
 城壁の外へこぼれ落ち、難を逃れた欠片があったのだ。
 痛みで声は出せなかったけど、イサンテはほっとした。
 随分と小さくなってしまったけど、これでやり直せると思った。
 ボクら、最初はこんな風に、小さかったもの。
(また戦場に行って、兵士の死肉を貪ればいい。そうしたら、すぐに元気になるから)
 まだ手足に上手く力が入らなかったけど、呼吸は楽になった。
 首元を緩めて、懐に入れる準備をするとイサンテは腕を伸ばした。
(ほら、おいで。家に帰ろう)
 イサンテの呼びかけに答えて、赤い液体が地面を這う。
「ぼく、大丈夫っ」
 と、頭上を飛び越える女の声がした。
 赤い刃のハルバードが、ボクの半身をなぎ払う。
 飛び散ったのは、ボクの心臓だ。
 胸を押さえ、吐く物などもう胃液しかなくて。
 側に駆け寄ってきた女が、何か言っている。
「アルマさん。残骸は今ので最後だ。終わったよ」
 新手の男の声がした。
 そうか、それがこの女の名前か。
 声をかけられて、女はよそ見をしていた。
 チャンスだと思ったら、痛みはひいていた。
 イサンテは飛び起きると、腰のナイフを抜いて、女のむき出しの喉を狙って切りつけた。
 一瞬早く、女が身を引いたので、刃は空振りに終わった。
 女の驚いた顔をこの目に焼き付けて、イサンテは森へと逃げ込んだ。
 追いかけて来ようとする女を、眼鏡をかけた男が止めていた。


  ・/・



 森の奥。
 ぽつり、ぽつりと滴が地面に落ちた。
 生暖かい雨に身を濡らして、金髪の少年は大声を上げた
「何でだよ。なんでっ、なんでっ。上手くいってたのに。上手くやれてたのにっ!」
 どうしてこんな事になったのか、さっぱりわからない。
 止めどなく頬を伝い落ちる雨は、口に入ると塩の味がした。
 まだこの心臓が動いているかどうか確認したくて、胸に手を置いた。
 鼓動はある。胸も温かいのに、中は空洞だ。
 ここにいた半身は消えてしまった。殺されてしまった。
 手の甲で目に入った雨をぬぐう。
 と、イサンテはそこにあるはずの物が無い事に気がついた。
「……あれ、首飾りは? え、嘘。嫌だよ、イトラにあげるのに」
 首からさげていたはずの宝石が無い。
 妹の目によく似た、青い宝石がない。
 自分の吐いた物がこびりついたままの上着をはたいても出てこない。首に手を回しても、あるはずの紐がない。
「大事なプレゼントなのに。イトラのために奪い取ったのに。これだったら、喜んでくれるって。無くさないように首からさげてたのにっ」
 一度、妹にあげたことがあることも、彼女の首に自分でかけたこともあることも忘れて、少年は泣きながら、ポケットの裏側まで引っ張り出して探しまわった。


  ・/・


 さて。
 彼が『彼』へと戻らないためには、妹が必要でした。
 名も無き獣に戻らないためには、名前を呼んでくれる存在が必要でした。
 時折、頭にちらつく誰かの死体、それが誰だったか考えようとすると、彼の頭の中は真っ白になりました。
 これはきっと、これまで食い散らかしてきたモノのひとつ、思い出す必要のない、取るに足らない記憶なんだ。魔族の戦場では、もっと刺激的なモノが幾らでもあったじゃないか。
 そう、『彼』は考えました。
 『彼』がこれまでに作った墓は三つ。
 その三つ目に収まってるのは誰だったか。
 もし、この時の『彼』に聞けたら、こう答えたことでしょう。

 そんなのわかりきってる。丁度、半身が殺されたばかりだ。
 イトラの両親とボクの半身、これで墓の数は一致する。
 これで、何処にもおかしな所は無い。
 五ひく三は一。
 三人死んで、ボクは今一人なのだから、これが正解。
 『彼』の頭の中では、これが正しい計算式。
 だって、可愛い妹が居なくなるはずが無いじゃないか。
 あんなに大事にしてきたのだから、と。

 『彼』は本当に弱い魔物でしたから、自分がすでに名も無き獣に戻ってしまったのだと、認めるわけにはいきませんでした。認めようにも認められませんでした。
 彼の半身まで失って、得られたモノは何だったのか。
 ひとときの幸せか。それとも、もっと大きな孤独か。
 どちらだったのでしょうかね。

 おや、そんな事より『彼』の話の続きが聞きたいのですか。
 それでは、話を戻しましょう。
 一番目の『彼』のお話、その続きを。


・/・


 首飾りは落としたのだ。
 イサンテは、今度は地面に這いつくばって草を掻き分けた。
「ああもう、鬱陶しいなっ。イトラの首飾りがみつからないじゃないかっ」
 腕に登ってくる虫を払いのけ、草を引きちぎりるうちに、切り傷が増えていった。
 苛立ちばかりがつのる。
 深呼吸をして、何処で落としたのか思い返すことにした。
 そうして、あの女兵士にナイフを向けたときには、すでに無かった事を思い出した。
「街かよ、くそっ」
 舌打ちをする。
 踵を返し、来た道を戻る少年の後ろで、草が横一文字に切れた。
 それは丁度、さっき文句を言いながら草を掻き分けていた場所だった。



 耳をすまして、近くに人が居ないのを確かめながら街へと近づく。
 塀の向こうでは、ダリアロの正規兵がせわしなく動き回っていた。
 早く探しに行きたいのを、じっと堪えて暗闇の中で待つ。
 半身を失った今、奴らを倒す術がない。
 奴らの音が聞こえる方を、睨み付けながら噛みしめる奥歯が小な音を立てた。
 半身を殺してくれたあの女の顔と名前は覚えた。
 あの女――アルマには、いつか必ず、仕返しをしてやる。
 そう、呪いながらじっと堪える。
 魔族に怯えながら、戦場で死肉をあさっていた頃と同じだ。
 長い耳をすませば、心の声が聞こえてくる。
 生き物は楽器だ。皆が一斉に音を出すから、騒音になって耳に入ってくる。
 ちょっと前まで、音でしか聞き取れなかったのが、少し単語も聞こえてくるようになった気がする。
 兵士たちが撤退し、静かになった街に足を踏み入れる。
 右に左にと視線を走らせながら、街に来たときの道筋をたどっても落とし物が見つからない。
「なんでっ、どうしてっ!」
 イサンテが声をあらげる度に、広場の壁や石畳の床に真っ直ぐなの亀裂が走った。

 音が聞こえる。
 無人になった街を狙って、竜の兵隊が行進してくる。
 夜空を小型の飛竜が旋回していた。
 頭上で、街に残っている人影を見つけたと、飛竜が鳴いている。
 嫌な音だ、不快な雑音だ。
 生まれてからずっと聞いてきて、もう聞き飽きた音だ。
「やっと見つけたのに。ボクだけの音を手に入れたのにっ」
 あの青い宝石が見つからない。
 あの愛らしく、ボクの名前を呼んでくれる声が聞こえない。
 代わりに少年の耳に入ってくるのは、包囲網を敷くトカゲのやり取りだ。
 たかが、なりそこない一匹では、腹の足しにもならないと。
 さりとて、あのように臭い生き物、放っておくのも鬱陶しい。
 どうする。どうしようか。どう殺そうか。
 広場に入ってきて、そんなことを話し合っている。心の中で思ってる。
 少年の身を守ってくれる半身は、もう居ない。
 ここには、なりそこないの魔物によく似た、金髪の少年ただひとり。
「もう嫌だ。こんな世界は大嫌いだ。全部全部、お前らが悪いんだ。そうやって、雑音ばかりでこの世を満たすから頭が痛いんだ。お前らなんか、お前らなんかっ」
 大粒の涙をこぼして、その長い耳を両手でふさいで、少年が泣きわめく。
 すると、少年を取り囲み様子をみていたリザードマンの腹が横に切れ、血が噴き出した。
 竜族の鱗を裂き、魔族の防御魔法を超えた一撃に、わずかに動揺が走る。
 が、それだけだ。切られた兵も致命傷にはほど遠い。
 ただ、無駄に兵を怒らせただけだ。
 不可視無音の刃が、少年の周囲で弾けたからどうだというのだ。
 こんなもの、竜が起こす稲妻と比べたら、蚊ほどのものだ。
 トカゲたちの意見は、イサンテを殺すことでまとまったらしい。
 槍を携えて、徐々に包囲を狭めていく。
 緋色の瞳が、雷撃を纏う何本もの槍を見据える。
「何が魔族だ。何が魔王だ。何が魔法だ。死んだ命の一つも生き返らせれない癖に。何が魔法を極めた生き物だ。屍で築き上げた大地の王など、己が身も業火にくべてしまえばいい」
 誰も居ないはずの少年の背後から、小さな白い手が伸びた。
 半分透き通ったその手が、緋色の目を覆い隠す。
 イサンテは目を瞑った。
 見なくてよいのだ、こんな世界は。
「――こんな世界、消えてしまえ」
 喉が焼き切れんばかりに声を張り上げて、金髪の少年は強く願った。


 ここは魔界。
 ありとあらゆる物に魔力が宿り、魔法という形で様々な奇跡を可能にする世界。
 さて、魔法を可能にするのは何だ。
 今では、技術が発達し省略されてしまった呪文や道具、魔方陣だろうか。
 当然、どれも違う。
 願いを叶える力の源、魔力が呼応するそれは、誰にだってあるのだ。
 例えばそう、《なりそこないの魔物》にも。


 少年の前に、インクでも垂らしたように黒い点が生まれた。
 それは穴だ。
 こことは違う理、別の神が支配する世界へと続く黒き穴だ。
 魔界が消えるより、少年一人が消える方がはるかに容易いというものだ。
 得られる結果は同じ事、彼はこの世界を見ないで済むのだから。
 何もかもを飲み込む黒い穴へと、風が吹く。
 瞬く間に、穴は広場いっぱいにまで膨らんで、少年もリザードマンも、雷撃すら外へは逃がさない。
 そこにいた生き物全てを飲み込むと、今度は一気に縮んで消えた。
 みんな消えて、壁や石畳の傷だけが残った。
 飛竜の鳴き声が、無人の街に響いた。


・/・


 見たく無いなら、見なければいい。
 知りたくないなら、忘れてしまえばいい。
 解りたくないなら、歪めてしまえばいい。
 事実は変わらなくても、記憶なら変えられる。

 緋色の獣は死んでしまった。
 次は自分の番だ。
 死にたくない。消えたくない。
 もう、名無しの獣には戻りたくない。
 足下がおぼつかなくて、歩くのも不自由な獣でいるのは嫌だ。

 そんな、嫌々ばかりの『彼』だから。
 沢山、その手を血に染めてきた『彼』だから。
 叶う願いは、それ相応にふさわしく。

 黒き穴を抜ける頃には、『彼』を悩ます頭痛は治まっていた。


・/・


 どれほどの間、目を瞑っていたのか。
 イサンテが目を開けたときには、辺り一面が白一色に埋まっていた。
 不思議とあの酷い頭痛がひいていた。
 空から降ってくる白いものは、森を漂う光に似ている気がした。
 妹がしていたように手を伸ばす、指で触れると溶けてしまった。
 足下の白いの全てが、この白いものだ。
「……寒い」白い息を吐いて、腕をさすった。
 灰色の道を、馬の無い鉄の車が絶え間なく行き交う。
 空を行く、巨大な翼は竜のような羽ばたきもせず、真っ直ぐに飛んでいた。
 イサンテは首をかしげた。
 何処かの魔族が使った転移魔法に、巻き込まれたのだろうか。
 本でみた魔界の地図を頭に描くも、見当がつかない。
「参ったな。早く帰らないと。家でイトラが待ってるのに」
 森の小さな家で留守番している妹の顔を思い浮かべて、イサンテは言った。
 何かを忘れているような違和感があった。
 この寒さにやられたのか、声が少し枯れている。
 目も少し、腫れぼったい。
「でも、綺麗だなぁ。イトラにも見せてあげたいなぁ。女の子は綺麗な物が好きだから、きっと喜んでくれるよね」
 そう言って、イサンテは空に手を伸ばした。
 緋色の瞳が、穏やかに笑みを作った。

 イサンテの背後から、誰も居ないのに、鈴のような愛らしい笑い声がした。


・/・


 かくて、『彼』がたどり着いた光の都は、希望の都たるか。
 それとも、水面に浮かぶ泡のように儚いものか。

 それはまた、別のお話。
 すでに語られし、人形の夢。
 ガラスの瞳が映しだす記憶の中で。
 次の語り手は、人形技師へ。


 え? 『彼』が可哀相?
 呪いなんてものはね。きっかけに過ぎないのですよ。
 遅かれ早かれ、『彼』はこうなる運命だったのです。
 『彼』の日常は、とうに軋んでいたのですから。
 こんなにも素晴らしい『彼』の門出を、祝って下さらないのですか。

 おやおや、どうしました。
 私が誰か、気になりますか。
 どうしてそんなに詳しいのかって。

 良いじゃないですか、そんな些末なこと。
 私は『彼』の歴史を知って貰いたかった。
 貴方はそれを知りたかった。
 これで良いじゃありませんか。

 それでは皆さま。ご機嫌よう。
 願わくば、次の悪夢でお会いできますように。


                      おわり
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