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cup 世界の壁の向こう側から-帰還者(12)

2013.06.04 Tue
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 ガルガとユミルが現地に到着したとき、すでに調査団は撤収を終えていた。
 草の生い茂る平野の一部が、大きく円形に土を露出させている。
 この草が消えている場所に、黒き穴はあったのだという。



FAMILIAR ~ゼロの刻~ -->説明書


   帰還者(12)


キーワード:【白】、魔界、兵士、なりそこないの魔物、異界の門

「――穴が、急に広がったんだ。近くにいた魔族が最初に飲まれた。とっさにアルマさんが二、三人、外ヘと放り投げたんだ。他にも引きずり込まれそうな奴を助けようとして、グレゴールはアルマを止めようとして、一緒に持って行かれた」
 テムニィが、淡々とその時の状況を告げる。
 ガルガはテムニィの首元を掴みあげる。
「持って行かれたって、そんな説明でわかるかよ」
「じゃあ、何て言えば良いんだっ。穴に削り取られたって言えば良いのかっ」
 くそっとガルガが手を離す。
 地面を調べていたユミルが立ち上がる。
「テムニィ……黒き穴が消えたのは、《無能》を飲み込んだからだと思うか?」
「わかんねぇ。でも、消えたタイミングは同じぐらいだ」
「そうか……」
「アルマが巻き込まれて、穴が消えたから何だっていうんだ」
「だとしたら、黒き穴は自然物ではなく、何らかの魔法の産物ということになる……ぐらいだな。観測用の魔法具はほとんど吸い込まれてしまったというし、魔力の痕跡も残ってない。一体どういう魔法だったのかは判別できんよ」
 ガルガの目にも、草が消えている他におかしなところは見つからなかった。
 教えてもらわなければ、ここに黒き穴があったことに気づかないだろう。
 ユミルが手を叩いて、指についた土を払った。
「一旦戻るぞ。代表者のグレゴールを失った以上、部隊の再編成しないといかん」
「おい。ユミル! お前、薄情すぎないか」
 ガルガの言葉に、ユミルは薄く笑った。
「薄情? 誰かがある日突然消えて、または亡くなって。それを哀れむのは魔界の流儀か? ガルガ、アンタはクーリアの双子が死んだからって泣いたりしたか? あいにくと私はアルマの恋人にはなれなかったからな。騒ぐのは、伴侶だったアンタに任せるよ」
 ガルガの言葉がつまった。
 人の生き死など、さほど重視されない。
 先の魔物退治で命を落としたクーリアの双子は、亡骸はスライムに食われてしまったし、残った遺品もめぼしい物は皆で分け合った後だ。
 寮の空き部屋には、最初から据え付けられていた家具しか残っていない。
 そうやって、居なくなった人を忘れていくのが魔界だ。
「悪い、ガルガ。いつも、見ているばかりで」
「……悪いのは、黒き穴を作った奴だ。《千里眼》じゃない。ユミル、名を貸してくれ。第二層に上がって調査団の生き残りに話を聞きに行く。あいつら、黒き穴を調べていた専門家なんだろ。何か知ってるかもしれない」
「ふむ。諦めきれないか。それもまた魔界らしい。さて、オルタシアの名を貸すのはやぶさかではないが、その先頭に立っていた御仁が穴に飲まれてしまったからな。魔法学院の研究室に行っても大した収穫はないぞ。調べるなら別の場所をお薦めするよ」
「何?」
「グレゴールだよ。かの老人が、黒き穴と世界障壁研究の第一人者だ」


  ・/・


 グレゴールの自宅は、最下層の旧市街地にあった。
 大きな屋敷の扉をあけると、本の山が出迎えた。
 本棚に収まりきらない本やファイリングされた紙束が床にも詰まれている。
「世界障壁ってのは、世界の端にある巨大な鏡のことだよな。あの爺さん。このご時世に端まで見てきたっていうのか」
 小柄な老人の通り道にあわせてある通り道は狭く、本の山を崩さないように気をつけながらガルガは歩いた。
 ユミルは何処に何の本があるのか知っているらしく、ガルガとテムニィを先導した。
「今より二千年以上昔の、若い頃にな。このダリアロだけでなく、サジェスやガデンの土地にも足を運んだというよ。調査ついでにサジェスの火龍を焼き殺したというから、全盛期は末恐ろしい御仁だったよ」
 龍は自然物を操るのに長けており、同属性で挑むのは無謀とさえ言われている。ダリアロの基準なら上級魔族相当の実力を持つ種族だ。
 その火龍を、焼き殺したというグレゴールの偉業はすぐに王宮にもたらされ、魔王の側近への誘いもあったという。それをグレゴールは丁重にお断りしたばかりか、褒美に位を下げるて欲しいと申し出たのだ。
「どうしてそんな真似を? 第一層暮らしなら、遊んで暮らせただろう」
 テムニィの疑問に、ガルガも頷く。
「その答え、ガルガなら解るんじゃないか?」
「俺が?」
「《皆殺し》のガルガを簡単な魔物退治や調査任務ごときでは派遣できないように、位の高い魔族は首都の防衛に回されたりして、行動が大きく制限されてしまう。それを御仁は嫌ったのだよ」
 中級以上の魔族がそうそう戦場に姿をみせない理由がそれだ。
 本拠地から敵地を呪っているだけならまだいい。だが、戦場で直接相対したとなれば話は違う。強い魔族にとって、この世界はいささか狭すぎるのだ。
 世界に果てがなかった頃ならいざしらず、世界障壁という壁にさえぎられてしまった今の魔界では、彼らの力は大きすぎる。
 生息地を得るための侵略で、誰が好き好んで土地を破壊するものか。
「当時結構な騒動になったらしい。魔王様の申し出を正面から断った魔族などいなかったからな。その時にグレゴールを擁護したのが、オルタシアの当主、私の祖母に当たる人だ。グレゴール殿にとって、どの魔王が勝利を収めるかよりも、この世界の謎を紐解く方が大切だったのだよ」
 老人の身体にあわせた小さな扉の前で、ユミルが手をかざした。
 扉とその周囲の壁一体に魔方陣が出現した。何重にも重なる文字列がでたらめに動き出し、来訪者へと牙をむく。ガルガとテムニィは思わず身構えた。
 グレゴールが残した防犯用の術式だ。許可無き者、開け方を知らぬ者が扉に手を触れると、焼き殺すようになっている。
 魔方陣はもう一度大きく光ると光の粉となって消えた。
 ドアノブも鍵も見当たらない扉が、奥へとゆっくりと開いた。
「最新の書斎はここだ。グレゴール殿は部屋が手狭になると増築を繰り返していたからな。物を動かすよりも、新しい部屋に自分が移動して新しい資料を取り寄せたほうが、有意義だったそうだ」
 天井に頭をぶつけるのではと、扉をくぐってみると中は存外広かった。
 確かに、ここまでくるのに通ってきた部屋に比べると、本の数が少なく、本棚にもまだ空きがある。机の脇には、グレゴールがガルガの家に持ち込んだのと同じ、ロッキングチェアが膝掛けと一緒に置いてあった。
「おいそれと辺りの物に触れるなよ。グレゴールの論文が灰になったらかなわん」
 ユミルの忠告に、本棚に手を伸ばしたガルガは手を引いた。
「爺さん。部屋の中にまで防犯装置つけてんのかよ」
「ここにあるのは、どれも第二層の研究資料だからな。最下層民に見せるわけには行かない物も多々ある。資料と盗人のどっちが燃えるかは試さないとわからないが、己が身で確認したくなかろう?」
 ユミル相手でも防犯装置は作動するらしく、ユミルが本を手に取る度に魔方陣が浮かんで消えた。一回一回、ユミルが解除しているのだ。
 ガルガが顔をしかめた。ユミルと同じ真似を自分にはできそうにない。
「だから、《千里眼》を呼んだんだよ」
 急に話題を振られて、きょろきょろと部屋をみていたテムニィが驚いた。
「ユミル姐さん。俺の目なら防御術は透過できるかもしれないけど、本まで透けて壁の外が見えちまうよ。本が生き物だったら、そこで焦点合わせれるんだけどよ。無機物の、それもこんな手元近くに何枚も重なってるようなのを読み取るのは無理だぜ」
 そういって、テムニィが顔の前で手を振った。
「ガルガ。手を近づけて、危ない気配がした本があったらテムニィに開かせろ。アンタが普通に触れる奴は、どうせ大した資料じゃないから飛ばしていい」
 テムニィがむせた。
「は? それだとテムニィが燃えるんじゃないか」
 ガルガの言うとおりだと、必死にテムニィがうなづいた。
「防犯の術式が、鼠に反応しないのはなぜだと思う? 簡単だ。識別に、魔力の高さを使ってるからさ。この抜け道は、第二層から資料を持ち出したことのある《千里眼》ならよくわかっているはずだが」
 意地の悪い笑みを浮かべてユミルが言った。
 以前、ユミルの計画書を盗み出したのはテムニィだ。
 うげ、とテムニィがうめいた。
 魔力が弱ければ、人として探知されないわかっていても、進んで罠があるとわかっている術式に触れるのは嫌なようだ。
「ほら、数が多いから手分けしていくよ。ガルガは、間違って触れないように注意しなよ。グレゴールの術式が発動したら、あたしでもすぐには止めれないからね。資料が失われるのは惜しいが、もしもの時は《皆殺し》で本ごと消去してもいい」
「ちょ、ユミル姐さん。それ、俺がもし発動させちゃったら、防ぐ手段が無いってことになりませんか?」
「無いな」
「はいっ。多少時間がかかっても、姐さんが解除していくことを提案します!」
 ユミルにしれっと言われて、テムニィがいっそううろたえた。
「テムニィ。アルマのためなんだ。頼むっ」
「いやぁ。アルマさんの事は心配だし、隊長も無事だったらいいとは思うけど、こればっかは流石に……こんな所で死に掛けたくないって言うか。ほんと、人ってあっさり死ぬからさ。もうね。姐さんには悪いけど、魔族のたぶん大丈夫なんて言葉を信頼してたらこっちの身が持たないって」
 テムニィの説得はガルガに任せて、ユミルは机の引き出しを調べていた。
「ふむ。財布はあってもしょうがないな。邪魔だ」
 そう言って、黒い物を放り捨てる。
「え、もったいな――あっ」
 元々は盗人だったというテムニィの本能からか、彼は反射的に手を伸ばした。
 クーリアの双子の時と同じように、持ち主が死亡したあとの財産の分配は、大体早い者勝ちになる。しかし、この家の物は極秘資料が多く、大した収穫は期待できなかった。そんな中で、現金は貴重だったのだが。
 掴んだそれは財布では無く手帳だった。
 手帳からは、近くに立っていたガルガが思わず離れるほどの魔力を感じた。
「グレゴール直筆のソレに触れたなら大丈夫だ。これ以上に厳重なものは、他にないよ。ほら、男共もさっさと動いた」
 血の気の引いた顔で手帳を見下ろし、硬直しているテムニィをよそに、ユミルは手を叩いた。
「あのぉ、ユミル姐さん。もう一つあるんだけど……ここにあるの最下層民からしたら禁書扱いの代物ばかりっすよね。で、それ読んじゃった俺の立場はどうなるんでしょう」
「良かったな。《千里眼》はこれで首都の永住権を手に入れることになるぞ。なあに、悪いようにはしないさ。外で余計な話ことを言いふらしたら、首が飛ぶくらいだ」
 ユミルが手をのど元に当てて言った。
 文字通りに、首を切り落とされることになる。
 他の種族ならいざしらず、《なりそこないの魔物》は首だけではまず生きられない。
 というか、即死する。
「生首のまま生かしておいて、生きた資料として保管される可能性もある。ふふ……魔法学院の奥にはそういった生きた書物が――」
「うわーっ、ユミル姐さん。もういいから。それ、作り話っすよね! この部屋で見聞きしたことは、口を閉ざしておきますから。だから、生きた書物になるのは勘弁っ!」
 耳を押さえて、聞きたくないと悶絶するテムニィを横目にガルガは魔力の強い本を探した。ああやってユミルが楽しそうに話しているときは、脚色もかなり多い。
 大体、首だけにしても、不死というわけではないだろうし、死んでしまう書物など保管に適さない。実際の所は最初言った通り、違反者が魔王の使い魔に裁かれるのと同じように、処理されるだけだろう。
 それでも、十分に怖いのだが。


  ・/・


 二千年以上の歳月をかけたグレゴールの研究資料を探るのは、一両日で終わるような簡単な物では無かった。
 一番新しい書斎だけでは、資料が飛び飛びすぎてよくわからないと結局他の部屋も探しに行くことになる。
 合間に、グレゴールの後を引き継いで、ユミルがなりそこない部隊の隊長に納まったりもしつつ、ひたすら本をあさる。
 ガルガは、術式のかかっている本は専門的すぎて意味が分からない事に気がついて、自分でもすぐに読める本を手に取っていた。
 ユミルの許可を経て、自宅に持ち帰って目を通す。
「これだと、《千里眼》でなくとも目を悪くしそうだ」
 目頭を押さえて、テムニィが聞いたら、この眼鏡は視力が悪いからじゃなくて眩しいからだと批判されそうなことをつぶやいて、すっかり冷え切ったお茶を飲む。
 調査団の手を借りれないかと聞けば、あちらは数値の測定などの記録を取るための人材で、普段は別の魔法研究にいそしんでいるらしい。黒き穴に飲まれて行方不明なった者を助けるなどというお題目で割いてもらえる人材はいないそうだ。
 結果、無駄とも思える。遠回りし過ぎているような知識の習得に時間を取られていた。
 窓辺のカーテンが揺れた。
「おい。家に来るなら玄関から入れ」
 本から視線を動かさずに、夜風と共に入ってきた白い影に向けて言った。
「これは失礼した。ノックしても反応が無かったのでな。聞いたぞ。アルマが死んだそうだな。嫁を失って、さぞ落ち込んでいることだろうと来てみれば、元気そうでは無いか。《なりそこないの魔物》は身近な者が死ぬと病気になりやすいというからな。お主も部屋で倒れてるのかと思ったぞ」
 両腕を広げて、魔王の使い魔が言った。
「ミルク。アルマは死んでない。行方不明になっただけだ」
「黒き穴に飲まれてな」
 ガルガの長い耳が、ぴくりとはねた。
 使い魔の声には、嘲りの色があった。
「死体が出ないと、《皆殺し》は信じれないか。くくっ、自分は散々砂に変えておいてよく言うわ。肉塊も魔法も足下の地面すら、等しく砂にかえる主の能力だ。どの砂粒が、魔族の肉体だったのかなど判別できんというのに」
 アルマの死体も、目に見えない形になったのだと言わんばかりの言い分だった。
 ガルガが不快をあらわに舌打ちをして、読んでいた本を脇に置く。
 手に持っていると、砂に変えてしまいそうだったからだ。
「おい。ミルク。悪いが、今は余裕がない。からかいに来たなら失せろ」
「ふん。見舞いに来た我に対して、随分な態度ではないか。貴様、鏡はみたのか。酷い顔をしているぞ。生ける髑髏にでもなるつもりか」
「鏡の話はするな」
 鏡ときくと、世界障壁を思い出す。
 グレゴールの持論では、黒き穴はこの世界障壁の外に繋がっているのではないのかということだった。そして、黒き穴があった場所で時折発見される《人間》は、魔界の外からやってきたのだという。魔界の生き物では無いから、《人間》は呼吸すらままならずに死んでしまうのだと。
 黒き穴が、世界障壁の外に繋がっているのなら。
 外から来たのが《人間》だというのなら、その逆はあるのだろうか。
 こちらから《人間》の世界へ行った者はどうなったのか。
 黒き穴に魔族や獣が吸い込まれたという目撃証言は、資料には沢山載っていた。
 だが、吸い込まれて戻ってきた者の話は今のところ見つかっていない。
「グレゴールが一緒なんだ。何処に飛ばされてたって、何とでもなるさ。あいつがあんな簡単に死ぬものか。今頃、きっと爺さんや他に飛ばされた連中と一緒に戻ってくる手段を探してるはずだ」
「成る程、《黒き穴》は転移魔法の一種である論を読んでいたのか。《無能》を飲み込んで消滅したとなれば、あながち間違いではないかもしれんな」
 居間に散乱する本を見下ろして、使い魔が言った。
「転移魔法であるという仮説を下に、グレゴールは黒き穴を再現しようとしたが、失敗した。世界障壁を越えることは叶わず、手痛いしっぺ返しを受けたというぞ。老人が引退したのもその時にこさえた古傷のせいとも言われているが、怪我の方は位を下げるための方便であろうな」
 続く言葉は、ガルガの知らないことだった。
 顔をあげると、使い魔が得意げな笑みを浮かべていた。
「我が手ぶらで見舞いに来るわけがなかろう。どうだ。惚れたであろ」
 気色の悪いウインクをしたので、危うく手にしたカップを投げつけるところだった。
 寸前の所でぐっとこらえて、
「コホン。まぁあれだ。アルマが居なくなって寂しいというのなら、我が添い寝してやろうではないか」
 抱きつこうとしてくる使い魔の顔面に、魔力を乗せて全力でぶん投げた。


  ・/・


「ふむ。ガルガよ。ちょっと性格が変わったんじゃ無いか? 前はもっとこう慎ましやかだった気がするのだが」
 服についた紅茶のシミを気にしながら使い魔が言った。
 魔力を帯びて破壊力を増したカップは、紅茶をまき散らしつつ爆散した。
 真っ白い服には、その痕跡が点々と残っている。
「最近、魔族との付き合い方を覚えてきたからな」
 普通、位の低い者が上の者に逆らえば、それだけで処刑されかねない。
 ガルガもそれに従っていたのだが、《皆殺し》が魔族から一目置かれてるのもあってか、これぐらいなら裁かれないで済む事がわかってきた。
 自分で思っている以上に、《皆殺し》の名前と能力は高く買われているようだ。
「それで、ミルクは何を知ってるんだ」
 新しくいれな直したお茶を飲みながら、ガルガは向かいに座る使い魔を促した。
「うむ。魔王様に聞いてみたのだが、黒き穴から戻ってきた者が居るそうだ」
「へぇ。魔王様に………は?」
 突然でてきた大物すぎる名前に、ガルガの背筋が凍る。
 最下層民の問題を、一番上の魔族に聞いてきたとミルクは言ったのだ。
「何だ。我は魔王様の使い魔であるぞ。望めば面会するなど容易い。まぁ、その代償についてはガルガの気にすることはないぞ。我の体力の問題であるからな。健闘してこよう」
「……使い魔が主人と会うのに、代償がいるのか?」
 魔族が他人に要求することは、大概ろくなものではない。
 それが、一国の王ともなれば、どんなものか。
「ほう。我の身を案じるとは憂い奴よ。まぁ、そなたが今宵共に寝てくれれば――」
「本題に戻るぞ。それで、その帰還者はどうやって戻ってきたんだ」
 テーブルの下で足を絡めようとしてきた使い魔の脛を蹴飛ばして、ガルガは言った。
 今なら、使い魔がこれまでの女関係で冷たく扱われるてきた理由がわかるようなきがした。何度も繰り返したのは女に問題があったのではなくて、使い魔に問題があったのではないか、と。
「わからん」
「おい」
「魔王様曰く、戻ってきた魔族は原型をとどめていなかったそうだ。魂も変質していたから、身につけていた所持品で判断した。意思の疎通を図れる状態では無かったそうだよ。穴の向こう側で何を見たのか。どうやって戻ってきたのかは、魔王様にもわからん」
 さらりと告げた使い魔の言葉に、沈黙が訪れた。
「……つまり、《人間》がこちら側に来ると死んでしまうのと、似たような状態だったっていうわけか」
「知らんよ。我はそのニンゲンを見たことが無いからな。断言できん。ただ、そうだな。我の見解を言わせてもらえば魔力飽和と似ているな。あれも魂と肉体を変質させてしまうものだ」
 魔力飽和は、身の丈以上の魔力を急に吸収してしまったときに起こる。魔力の暴走による強制進化で、より魔力を効率よく扱える姿へと変貌する。知性を失った魔獣になりさがることが多いため、好き好んで魔力飽和を行う魔族はいない。
「黒き穴の向こう側は、魔界の大気より魔力が濃いってのか。それとも、途中にそういうスポットを通るのか。……グレゴールの爺さんは上級魔族相当だ。魔力の許容量もケタはずれに大きい。でも、《なりそこないの魔物》は違うぞ」
 魔法を無効化できても、魔力はまた別だ。
 魔力を宿しているから、《無能》のアルマは見かけに似合わない怪力を持つのだ。
 考え込んでしまったガルガに向けて、使い魔が言う。
「だから考えても真実なんぞ、わからんよ。魔王様からのアドバイスもあるぞ。あきらめろ。もし仮に、アルマが戻ってきたとしても、それが前と同じモノだとは思わぬことだ」
「ミルク!」
「ふむ。怒らせるのは本位ではないのだがな。今日はここらで帰るとしよう。頭を冷やしてよくよく考えてみることだな」
 部屋の空気にざらりと舌触りの悪いものが含まれる。
 砂だ。《皆殺し》の力が漏れ出ているのだ。


 資料を読み解くにつれ、グレゴールが生きた《人間》を求めたわけがよくわかった。
 居ないのだ。これまでに、ただの一人も。
 黒き穴の向こう、世界障壁の外側を覗いて、無事帰ってきた者は居ないのだ。
 だったら、アルマたちがその一号になるはずだ、というガルガの訴えは、一ヶ月もしたら同情の目で返された。
 魔族は忘れるのが上手いから。
 忘れるのが下手な《なりそこないの魔物》に同情した。


  ・/・


 黒き穴も、世界障壁も、目の前にある戦争に比べたらどうでもいい話だ。
 それより、魔界三国の行く先を心配した方がいい。
 数の多い竜族サジェスが、鉱物系魔族のガデンに勝利する日は近い。
 人型系魔族が主体のダリアロは、巨大な二国の間で上手く渡って生き残らなくてはならない。
 頃合を見計らって、サジェスの援護をしながら共にガデンを攻撃するのが良いのではないかという話が出る頃、思わぬ情報がダリアロにもたらされた。


 サジェスの魔王が死んだ。
 殺したのは、残る二国のガデンでもダリアロでもない。
 黒き穴からやってきた新勢力だ。



 グレゴールの残した手帳に、こんな文章が残されていた 

 もし、外の世界が、世界障壁が出来た後も滅びること無く残っているのだとしたら。
 そしてそこに、我々と似たような人が暮らしているのなら。
 それは、新たな脅威の種となりえないだろうか。
 もし、魔族が、世界障壁の外に出る手段を得たとしたら、外を侵略するのは想像に難くない。それと同じ事を、世界障壁の外にいる人がやらないと誰に言えよう。
 嘆かわしい。
 魔界の誰もが目の前の戦場に夢中で、そのことに思いを巡らせていないのだ。
 遠い古の栄光。
 果て無き世界が敵となったとき、魔界に勝つ術はあるのか。



 さて、老人の危惧はここに具現化した。
 東国サジェスで開いた黒き穴は、閉じること無く、血に飢えし獣を吐き出し続ける。
 魔王亡き後に残った魔族も仲間に引き入れて、逆らう者は血潮に変えて。
 赤き獣の一団は見る間に膨れあがった。
 遠見の術で覗いた者は、その先頭に立つ女の姿を見た。
 右手には深紅に染まったハルバード、左手にはサジェスの魔王からえぐりとった目玉を掲げて。
 白く長い髪に長い耳、防具などまともに身に纏ってない肢体。
 それは、なりそこないの魔物に良く似ていた。


 戻ってきた。帰ってきた。
 ガルガの願い通りに、少なくも一人は戻ってきた。
「はっ。まさか、アルマがサジェスの魔王を倒しただと」
 家に来たユミルから話を聞いたガルガは、頬を引きつらせながら、無理矢理笑い飛ばそうとした。
 しかし、ユミルの顔は笑っていない。
「遠見の術が効いた。あれはもう、あたしたちが知る《無能》のアルマじゃない。全く別の力を有した者だ。集団の中に、あの時一緒に吸い込まれた他の魔族に似た形の者も混ざっていたよ。グレゴール殿の姿は見えなかったが」
「嘘だ。あいつが、同じ魔族を、魔王を殺すと思うのか。まして、サジェスの魔王を食っただと……アルマにそんな事が出来るものか!」
 ただの石にも優しくあろうとした女だ。
 魔族もなりそこないも、皆で仲良く暮らせたら良いと、夢を語っていた女だ。
 実力不足以前に、アルマなら魔王とだって話し合おうとするはずだ。
 いや、魔王同士が仲良くなれば万事完結する、なんてことを言い出しかねない。
 アルマはそういう女だ。
「女は青い宝石の首飾りをさげていた。覚えているだろう。蛇をモチーフにしたあの首飾りだ。映像はあたしも見た。あれはアルマだ。いや、元アルマのなれの果てか」
 ガルガはつばを飲み込んで、血の気の失って震える指先を固く握った。
「出動だ。《皆殺し》」
 ユミルは冷たい声で言った。
 ガルガを見下ろすその目は、冷酷な蛇の眼だ。
 サジェスの残党を加えた赤き獣の一団は、次はガデンを食い散らかしている。
 ガデンの中にも、赤き獣側に味方する者が出始めており、陥落は時間の問題だ。
 魔界三国。残るは一国ダリアロのみ。
 ガデンと協力体制をとる間も無かった。
 鉱物系巨人には、せいぜい獣の行進を遅らせてくれる事を期待するしか無い。
 少なくとも、ダリアロの兵士が配置につくぐらいの時間は稼いでくれた。
「黒き穴から来た怪物どもを《皆殺し》にしろ」
 待ち望んでいた出動だった。
 これまで何度も任務に出ようとして、首都に足止めされてきた《皆殺し》の出番だ。
 黒き穴を探しに行くなどと言って、困らせた事もある。
 だが、こんな形での出動など誰が望むものか。
 ガルガは、テーブルを拳で打ち付けた。
 アルマと一緒に食事をしたテーブルだ。
 分厚い木の板は砂に変わって、足下に降り積もった。



>>13に続く
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分類:ゼロの刻
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