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cup 夢の杯-帰還者(終) 

2013.06.28 Fri
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 魔界三国、今は残されし最後の一国。
 その首都は静まりかえっていた。
 いつもは市の立ち、人の賑わう大通りは綺麗に片付けられ、酒場も戸を閉ざしていた。
 赤き獣の軍勢が首都を目指してると知って他の都に避難した者がいる。中級以上の魔族が出払っているため商売にならないと店を閉めた者がいる。
 表通り裏通りを問わず、各所で魔方陣がほのかに輝いていた。
 前線を突破された時、敵にまだ奥の手が残っていた時の備えだ。
 魔方陣から青空を見上げれば屋根の上に、点々と白い鎧を着込んだ者たちが地平線を見据えていた。胸には一角獣の模様が刻まれている。魔王の使い魔たちだ。


FAMILIAR ~ゼロの刻~ -->説明書


   帰還者(終)


キーワード:【白】、魔界、兵士、なりそこないの魔物、異界の門

 使い魔が一人欠けてしまったから、なりそこないたちの住む新市街地、その一番端にある兵士たちの宿舎には魔方陣が無かった。
 そこの担当者は、《皆殺し》の所に行っている。
 担当者だった彼と同じ塔で暮らしていた、時に仕事を抜け出す彼を捕まえに行った事もある使い魔が、屋根の端に腰掛けて新市街地の外れを見下ろしていた。
 森から吹く風に優しく髪をなびかせて、担当者不在の土地に手を掲げると公園に魔方陣が浮かび上がった。
「……よし」
 自分の魔力に反応して、魔方陣の色が変わるのを確認すると満足げに頷いた。
「一人で二カ所、やれないこともない。危なくなったら担当外から先に破棄する。これぐらいの祝福はしてやらないこともない」
 数刻前、ここの担当者から、魔王様のおわすこの首都を出る許可を頂いてきたと聞いたとき、開いた口がふさがらなかったものだ。
 我ら魔王の使い魔が、《なりそこないの魔物》なんぞのために魔王様のお側を離れよういうのだ。その場で不敬罪で殺されて居てもおかしくない。使い魔でありながら主と心中せずに、なりそこないの魔物と死ぬつもりなのか。
 頭でもおかしくなったのかと思って、直接聞いてみた。
 答えはこうだ。

 ――《皆殺し》一人では、殺すことしかできんだろ?

 狂人の言葉は、全く意味がわからなかった。
 だから、どうしたというのか。一点突破しているからこそ、今日の期待を一身に集めることのできる魔物になったのではないか。まして、この魔界において、殺しが優れているのは美徳ではないか。
 ただ、魔王様が許可を出された以上、止める事はできない。
 これだけやって、お目当てのなりそこないをモノに出来なかったら、指をさして笑ってやろう。頭のいかれた同僚ではあるが、居ないと静かすぎる。
「……暇だなぁ」
 そう言って、頬杖をついて飛ぶ鳥を見上げた。


  ・/・


 《皆殺し》は成功した。
 赤き獣の群れは、一人を除いて、残らず砂に変わった。
 ガルガは急いで、黒い霧となって広がっていた身体を集めると、半分ほど人型に戻して、倒れている女の元に駆け寄った。
「アルマっ。おい、アルマ!」
 倒れているアルマを、右腕一本で抱き上げた。左手はまだ霧のままだ。
 ミルクは手加減してくれたのか、大きな怪我は無さそうだ。
 髪の色が変わっている他は、失踪する前と変わった頃はみえない。
 そんなガルガの傍らに、塊が落ちてきた。
「なっ――」
 砂煙に目を庇う。腕にかかった飛沫が赤い事に気がついた。
 鳥は落ちた。
 砂煙が静まった後にあったのは、魔剣を握る右手と下半身だ。
 どろりと断面から零れるものから目をそらすと、アルマと人型の肉体を庇う様に黒い霧を空へと漂わせた。

 黒き穴が魔法の産物だと知れたときから、忘れてはいけなかったのだ。
 一体、誰が、黒き穴を生み出したのか。
 そいつが、今、何処にいるのかを。

 無邪気な声が空から聞こえた。
「あーぁ。こんなのあっちに送らせないでよ。驚かせちゃうだろ」
 見上げた先には、暗闇が広がっていた。
 暗闇の前で、白衣を着た青年が空に浮いていた。
 肩まである金髪、緋色の瞳が楽しげに揺らめいていた。武器の類いは身につけていないように見えた。
「お前が黒き穴の術者かっ!」
 青年と出会った場所が戦場でなければ、同族だと、《なりそこないの魔物》と勘違いしたかもしれない。しかし、耳の長いなりそこないと違って、青年の耳は金髪に隠れて見えないほど短かった。黒き穴が消えた後にのみ発見されるという、なりそこないに良く似た耳の短い種族の名が、ガルガの頭を横切った。
「残念。あと一つで終わりだったのに」
 そう言って、青年は光を反射させながら落ちてくる小さな物を掴んだ。
 アルマがつけていた首飾りだ。使い魔に斬られた時に紐がちぎれたのだろう。
 青年の手の中で、蛇を模した台座に青い宝石が輝いていた。
「おい。それはアルマの物だ」
「違うよ。ボクのだよ。ボクが、あの街で落としたんだ」
「何っ?」 
「君たちには、ついこの間のことなのかもしれないけどね。……少しずつ肉をそがれ、心臓の半分を潰された痛みを、一度たりとも忘れたことはない。よくもまぁ貴様らは、ろくに調べもせずに、スライムには痛覚がないと言い切れたものだ」
 黄金色の髪、緋色の瞳。憎しみに満ちた目で青年が語る。
 首飾りを拾った時、アルマは何か言っていなかったか。
 確か、傷ついた、なりそこないの子供がいたと。
 手を差し伸べたけど届かなかった幼い子がいたと。
「お前、まさか」
 アルマの初陣だ。テムニィの報告はしっかりと目を通してある。
 退治されたスライムは、魔族をも操る強力な催眠攻撃を行っていたという。
 もし、その術を操っていたのは、倒したスライムでは無かったのだとしたら。
 スライムと赤き獣の群れが、同じ術によって操られていたのだとしたら。
 なりそこないの能力は普通の魔法では防げない。
 だから、サジェスやガデンの多くの魔族が催眠攻撃に抵抗できなかった。
 だから、あの黒き穴に、グレゴールほどの魔族もなすすべもなく飲み込まれた。
「耳は切ったんだ。人間社会に溶け込むためにね」
 ガルガの疑問に答えるように、青年は耳元の髪をかきあげえた。
 根元から千切れ、周りの皮膚は焼けただれていた。残った穴を塞ぐように何か石の様な物がはまっていた。
「《なりそこないの魔物》がこれだけの事をしでかしたって言うのかっ。同族も巻き添えにして!」
 信じられなかった。
 アルマだけではない。スライムが暴れていた辺境の街でも、沢山の同族が被害にあっていたはずだ。顔も知らない、言葉も交わしたことのない一人一人を悲しむ事は無かったが、好きこのんで同族の命を奪おうとする者がいるなど、認めたくなかった。
 だって、困っている同族を見たら手を貸すのが《なりそこないの魔物》の流儀であり、これまで守ってきた矜持だ。
 テムニィが言っていた通りだ。こいつが同族とは思えない。
 気配が違う。
 白衣の青年には、腐肉の匂いが染みついている。
 青年は髪から手を離すと、そのまま首の後ろに手を回して首飾りの紐を結んだ。
「直接言葉を交わすのは初めましてだね。ボクの事はイサンテと呼んでよ。《皆殺し》のガルガ君」
 紐で首からさげるだけでは心配なのか、イサンテは胸ポケットに首飾りをしまいながら自己紹介を始めた。
「アルマから俺の事を聞いたのか」
「アルマじゃない。今は《喰らう者》だ。その名はボクが貰ったんだから」
「お前がつけた名など知ったことか。俺にとってこいつはアルマだ」
 ガルガは腕の中に目を落とした。
 髪の色こそ抜け落ちているが、やっぱりこれはアルマだ。顔にかかった砂を払ってやりたかったが、今、左手を霧から戻すわけにはいかなかった。
「イサンテ。お前の望みは何だ。魔界の王になることか」
「いいや、そんなまさか。魔王だなんてクズに誰がなりたがるものかよ」
 使い魔のミルクが聞いていれば激昂しそうなことを、イサンテは言った。
「……へぇ。お前なら目指せると思うんだがな。イサンテ、お前がサジェスとガデンを滅ぼした黒幕なんだろう?」
 話しながら、ガルガは、足の裏で砂の感触を確かめた。
 毒の沼や魔族だった砂には、細かな隙間が空いている。
 イサンテとの間を漂う霧はそのままに、アルマの身体や黒いローブに隠すようにして、地中へと黒い霧を忍び込ませていく。
 敵は一人。なりそこないの能力者だ。
 現在判明しているイサンテの能力は二つ。
 他人の精神を操ることと黒き穴を生み出すことだ。
 今のところ、ガルガの心には何の拘束力を感じなかった。
 イサンテの力が及ばないのか、それとも何も仕掛けていないだけなのか。
 黒き穴を背にして、イサンテは自分の胸に手をあてた。
「だって、魔界には希望がないじゃないか。そんな世界で王になって何になる。でも、黒き穴の向こう側は違う。あちらは本当に素晴らしい」
「だったら、ずっとあっちに引っ込んでいれば良かっただろう。どうして魔界に戻ってきた。黒き穴を使って、魔界の魔族を集めたりしたんだ」
「素材だよ。向こうは面白いよ。だって”魔力が無い”んだ。想像したことがあるかい? 森羅万象、その全てに魔力を感じない世界をさ。それはとても魅力的で綺麗な場所なんだ。魔族なんかに汚されてない土地だ。そんな場所だからこそ、できる実験がある。やれる研究があるんだ。そのための素材がいるんだよ」
「魔力が無いのが、綺麗だと? お前は、これを見ても綺麗だと言うのかっ」
 ガルガが示したのは、砂に変わった毒の沼地一帯のことだ。
 《皆殺し》の発動した後、ここにも魔力はない。
 異世界になど行かずとも、魔力の無い世界なら見てきた。
 それは死の世界だ。
「ん。ここはちょっと綺麗すぎるかな。《皆殺し》って言うから、もっと派手に大地を色染めてくれるものかと期待してたのに、少しがっかりしたよ。殺しっぷりは嫌いじゃないけどね」
 イサンテは肩をすくめた。
「君と渡り合っても半分、悪くて三分の一ぐらいは残ると思ってたのに、側にあんな化け物がいるんだもんなぁ。ホント、魔界っておっかないよ。まさか《なりそこないの魔物》に手を貸す魔族が居るなんてね。まぁ、別に、最後は共食いしてもらうつもりだっから、惜しくないけどさ」
 赤き獣側には、魔界の列強二国を滅ぼした油断もあったのだろう。
 《皆殺し》は恐ろしい能力だが、黒い霧に触れなければ効果が出ないという欠点がある。足の速い魔族であれば、イサンテの言うとおりに逃げおおせることのできる者もいただろう。
 それを邪魔したのはミルクだ。氷の魔法で沼全体を凍りづけにし、空に浮いている者も含めて氷の柱で串刺したから、赤き獣の軍勢は霧から逃がれることができなかったのだ。
 視界の隅に、主を無くして寂しげに残された氷の魔剣が映った。
 まだ、ミルクが残した魔力を宿しているのか、刀身に文字が浮かんでいた。
 幸いとは言えないが、ミルクが居なくなった今なら全力を出すこともできる。
「イサンテ。お前が魔界で何を見て、何のために戻ってきたのか知らんがな。報いは受けてもらうぞ」
 イサンテの足元で砂が盛り上がった。黒い煙を吹き出しながら、砂の蛇が空へと這い上がる。
「ふんっ、《喰らう者》! いつまで寝ているつもりだ!」
 ガルガの腕の中で、アルマが動いた。
 そう感じた時には、アルマの手がガルガの胸をえぐっていた。
 アルマの指が黒いローブをはねのけたその下は、がらんどうだ。
 すでにその部位は、霧に転じている。
 飛び退くアルマを捕まえようと伸ばした右手は届かなかった。
「アルマ!」
 まただ、作り物の人形のような目をしている。
 アルマは手近な武器、まだ使い魔の手が残っている魔剣に手を伸ばした。
 刃が煌めく、空気が凍りつく。
 一瞬でアルマの右腕は氷の中にあった。《無能》の力が魔法を無効化しているのだろう。アルマの腕は凍らずに済んでいた。
 しかし、アルマがどんなに引っ掻いても、氷の塊の中にある剣には指が届かない。
 じれたようにイサンテが口を開いた。
「ばぁか。さっさと、元の持ち主を喰って力を奪えよ」
 アルマが口を開いた。
 氷も、使い魔の下半身と右手も、剣を残して他の全てを、血の一滴に至るまで小さな光の粒に変わってアルマの口に吸い込まれた。
 氷が無くなった後、アルマが剣を掴む。
 それは元からの主であったかのように、彼女の手にしっくりと納まっていた。
 喰った。
 アルマが、顔見知りの魔族を喰わされた。
「イサンテ、貴様っ! アルマに一体、何をした!」
 対して、イサンテ本体を狙った霧は見えない壁に阻まれていた。
 霧の身体でどんなに隙間を探しても、入りこめる隙間が見当たらない。
 霧に転じてない人の部分を狙ってくる切っ先から身を躱し、浮遊魔法で宙に浮く。
 昔のままならアルマは浮遊魔法を使えない。
 そして、この辺りは全部砂に変わってしまって、アルマが足場にするような物もない。
「あはは、凄い凄い。へぇ、魔法も殺す癖に、魔法を使えるんだ」
 同じ高さにまでガルガが上がってきても、イサンテは面白がって手を叩いていた。
「ふふ。ああそうだ。そろそろこいつも消しとこうか。開けっ放しにして、上半分に戻ってこられても困るし。ほら、魔界の生き物って、ホントしぶといからさ。半分になったぐらいじゃすぐには死なないじゃない?」
 そう言って、イサンテが指を鳴らす。
 黒い穴は音もなく爆縮し、小さな点になって消えた。
 ああやって静かに、魔王の代行者を名乗る魔族に避ける暇も与えず、真っ二つにしたのだろう。
「一緒に向こうに戻った方が良かったんじゃないのか。ミルクが向こうに行ったんじゃ、あっちも大変だろうよ」
 あれでいて上級魔族相当の実力者だ。
 半身だけでも、並み居る魔族を物ともしないだろう。
 まして、魔力が無い世界とやらで、魔法を防ぐ手立てがあるようにも思えない。
「……待てよ。魔法が無い……?」
 自分で考えたことに違和感があった。
 だとしたら、なぜアルマや他の魔族は大人しく、《人間》の世界で捕まっていたのか。
 イサンテに操られていた?
 奴もなりそこないの能力者でなら、休憩が必要なはずだ。
 内側に働きかける能力ではなく、黒き穴や精神掌握といった外に働きかける力なら尚のこと。休んでいる隙に逃げ出すことは、可能だったのではないか。
「ふふ。黒き穴ってのは、ただの通り道なんだよ。だから、通路に引っかかっていられると困る。ちゃんと、向こう側に落ちてくれないと」
 イサンテが右手の人差し指で、何かをつまんで捨てるような仕草をした。
「ああ、可哀相に。哀れ半身だけとなった君の仲間は、あちらについた瞬間に弾けて死んでしまうだろう。ほんと、可哀相に。君がボクに黒き穴を閉じさせたりするから、彼の死は確定されてしまった」
「罠ぐらいは用意してあるってことか」
「罠? はは、そんなものはないよ。ねぇ、もっとよく考えてごらんよ。魔界の大気には、空気と同じように魔力が満ちている。それが、全て無い世界だよ。言ってしまえば、魔界は深海の底にいるようなものなんだ。深い海の底を泳ぐに適した魚をいきなり地表に放り出したらどうなるかぐらい、学がなくてもわかるだろう?」
「……おい。待て。何を言ってる」
「魔力は常に均等であろうとする性質がある。だから、《皆殺し》が行われた後でもここの空気には、失った魔力が流れ込んできて、やがては平均化するんだ。これが大気であれば、風が渦を巻くように流れ込んで、突風が吹き荒れていることだろうね。だから、本来、魔族の身体に蓄えられている魔力も外へ流れていってしまう物なんだ。魔力が強いという事は即ち、周囲と平均化しようする魔力を身体に押し止めることできる力が強い事に他ならないのさ」
 イサンテの身体を取り巻く不可視の壁に隙間がないか、焦るガルガに対して、イサンテは落ち着いた物だった。
 出来の悪い生徒に聞かせるように、話を進める。
「さて、ここで問題だ。――もしも、魔力が世界中の何処まで行っても存在しない世界に魔族が放り込まれたら、彼は、自分の魔力を押しとどめる事ができますか?」
「おい。魔力が流れて行くなんて話、聞いたこともないぞ。魔力の強さは、どれだけ魔力を喰ってきたかって意味だろうが」
 イサンテが大きくため息をついた。
「風でイメージができないのなら、熱で考えたら良い。君が氷を握れば、氷は溶けて反対に君の手は冷たくなるだろう。それは温度差を縮めるように熱が移るからだ。これと同じ性質が魔力にもある。最も、魔界の大気に宿る魔力は濃密かつ差があまりないから、魔力の移動を観測したければ、黒き穴の向こう側に行く必要があるけどね」
「こんな場所で魔法講義か? 正気か? 良いか。大気中から魔力の補給が出来なくったって、ミルクが蓄えている力があれば都市の一つや二つ、簡単に滅ぼすぞ」
 上空で会話する二人に向けて、地上からアルマが放り投げた魔剣はガルガの人の部分に刺さる前に黒い霧に触れて砂に変わった。ミルクの魔剣に、《鍛冶師》の加護は無かったようだ。
 これで良い。アルマは、イサンテを倒した後に回収する。
 イサンテが苛立ったように頭を掻いた。
「ああもう、わからないかなぁ。身体から魔力が外へと流れてしまうんだよ。魔界における、魔力の飽和状態と同じ事が起こるんだよ。魔力を平均化する際にかかる力は、質量の差に比例する。この場合、相手は世界そのものだ。零れた水をタオルで吸いとるように、世界に吸い尽くされるんだよ。そんな力、個人で抗いきれるわけないだろう」
 イサンテは、講義に夢中で、自分が魔物の群れをを率いてここまでやってきたことを忘れているようだった。ガルガに理解させなくては気が済まないようだった。
「魔力飽和が、魔力を貯め込み過ぎたがゆえに発生する現象である、というのは間違った認識だ。正しい定義では、魔力飽和は周囲と自分自身との魔力の差が大きすぎる事で発生する。注目すべきなのは勢いなんだ。出入りが激しすぎるから身体や心が壊れる。よしんば身体の崩壊を抑えきれても、まともな知性など残りはしない。結果、魔力が強すぎるから、あっちでは簡単に死ぬんだ。例えば、魔族のなりそこないと呼ばれるくらいに弱く無ければ、向こうに着いたときに生きていられないだろうよ」
 あちら側から魔界に来ると、すぐに死んでしまう人間という生き物がいる。
 しかし、人間の世界では逆に、魔力の強い者ほど簡単に死ぬのだとイサンテは言った。
 その表現ならわかりやすかった。
 魔力や魔力飽和の正しい定義や原理などどうでもいい。
 事象として、何が起こったのかがわかれば十分だ。
「道理で、じいさんの姿が見えなかったわけだ。……お前、こんなことしでかさずに普通に暮らしてたら、グレゴール隊長と話が盛り上がったかもな」
 グレゴールは老いたとはいえ、一度は、魔王の側近にと望まれた事のある魔族だ。イサンテの説明が正しいのであれば、調査隊の中で真っ先に命を落とすのはグレゴールだ。
 案外、最後に魔界の外を覗けたのなら、あの爺さんは本望だったかもしれない。
 老いた魔族の書斎をみれば、グレゴールがどれほど魔界の外を見たがっていたか一目瞭然だった。
「グレゴール? ああ、《喰らう者》が言ってたか。ふふ、そうだ。最初、《喰らう者》がボクに対して何と言っていたと思う? 『必ず、一緒に魔界へ連れ帰ってあげるから』だってよ。余計なお世話だっ。違うだろ。帰して下さいってお願いしろよ」
 心底嫌そうに吐き捨てるイサンテの様子は、だだを捏ねる子供のようだった。
 つい先ほど、あの魔王の使い魔をあっさりと殺してみせたのが嘘のようだ。
 今なら隙だらけに見えるのに、イサンテが生み出している不可視の壁の隙間が見つからないのがもどかしかった。
「あいつなら、そう言うだろうな」
「ほんと嫌な女だ。だから教えてやったんだ。この一年間喰わせた食事は、アンタが探してた爺さんだって。そしたらさ。あの女、笑っちゃうよね。人に説教してた癖に、その場で吐いて泣き出しちゃってさ。あんなに強情で操れそうになかったのに、急にボロボロ。メンタルもがたがたでさ、簡単に術にかかるんだもん。笑っちゃう。ばっかみたい」
 もうイサンテの目は、ガルガを見てはいなかった。
 何がそんなに楽しいのか。
 嬉しそうに、何度も思い出し笑いをしながら喋る。
 対して、話を聞くガルガの表情は険しく、曇っていた。
「だからさ。教えてやったんだよ」
 袖口で涙をぬぐってイサンテは、かつてアルマに与えた言葉を告げた。

 ――そんなに皆と一つになりたいのなら、君がみんなを食べちゃえば良いじゃん。

「傑作だよね。あの女、今もそれを信じてるよ。だって、疑う心を封じてやったもの。あは、馬鹿だよ、あの女。あの調子で、もう十年も経ってるのにまだ気付きやしないんだもの。むしゃむしゃぱくぱく、何でも食べるんだ。ボクがえり好みなんてさせないしね」
「……十年、だと」
 言葉が出なかった。だが、イサンテの言葉に聞き捨てのならないものが含まれていた。
 アルマを含めた黒き穴の調査隊の一部が失踪して、まだ二ヶ月も過ぎていない。
 それなのに。
 十年だ、とイサンテは言った。
「世界が異なるのだから、時間の流れが違って当然だろう。何度か試したけど、どうも時間の速さにばらつきがあってね。魔界の十秒があちらでも同じ時もあれば、何時間と過ぎることもある。ボクが思うに、魔界は浮いているんだ。そして、時の流れが速い場所、遅い場所をたゆたっている。おかげで門を開くとき、いつも捕まえるのに苦労するよ」
 そして、基本的にあちら側の方が、魔界より時間の進み方が早いのだと言う。
 それはイサンテが大人になるのに十分な時間で、アルマがおかしくなるのにも足る時間だったのか。
「十年間。……アルマを苦しめ続けたっていうのか」
 落ち着いて喋っているつもりなのに、言葉の端が震える。
 人の身体があれば、握りしめた拳の内側に食い込む爪で、血を流しているところだ。
 どうやったら、こいつを黙らせれるだろうか。
 もう、黒い霧で隠してしまうことすら――《皆殺し》ですら生ぬるい。
 その魂すら殺し尽くしてやらなくては、この心は静まりそうにはなかった。
 《鍛冶師》の作ったローブの裾から、砂がサラサラと零れた。
 もう服など必要ない。この身は全て、黒い霧なのだから。
 心底嬉しそうにイサンテが手を叩いた。
 笑いすぎて出た涙を袖でぬぐいながら、
「あーっははっ。良いさ。その調子。魔界の住人は、憎悪に焼かれて死ぬのがふさわしい」
 緋色の目をした悪魔が嗤う。
「まぁ、彼女との生活も楽しかったさ。馬鹿だけど、身体の具合は良かったしね」
「っ――貴様ぁ!」
 イサンテの周りの空間が歪む。
 不可視の壁が消えた。
 黒い霧に消されたのではない。イサンテが消した。
「丸わかりすぎるんだよ。《皆殺し》――心臓はそこだろ?」
 先ほどまでとは違う、冷たい声と目だった。
 黒い霧が横一直線に切れた。その主の身体ごと。


 かつて、ダリアロでは《皆殺し》が死んだらどうなるか心配する声があった。
 その死体は、霧に変わるのか。
 それとも、なりそこないの骸が横たわっているのか。
 主が死んで、《皆殺し》が何の制御なく解き放たれでもしたら、それこそこの世の終わりだと心配したのだ。
 けれど、それはつまらない心配だった。
 だって、結果はそこに横たわっているのだから。
 黒い塊を蹴飛ばして、イサンテは声をかけた。
「《皆殺し》。まだ聞こえてるかい? ボクが何のために魔界に来たのか教えてあげるよ」
 さっきまでとは違った穏やかな声だった。
「君を殺しに来たんだ。優しく頼れると評判の君が、醜く顔を歪めて死に行く様を見に来たのさ。だって、それぐらいしないと割に合わないだろう? ボクは、ボクの半身をアルマに殺されたんだから。ボクにだってアルマの大切な物を頂戴よ。ねぇ?」
 イサンテは黒い髪をつま先で蹴飛ばして、
「ねぇ、聞こえてる?」
 もう一度、呼びかけた。



  ・/・



 丘に身を伏せ、一部始終を見ていたテムニィが舌を打つ。
「くっそ。何て奴だ。ガルガが殺られた」
 これ以上、ここに居るのも限界だ。
 手を振り、撤収の合図を送る。
 赤き獣の生き残り、黒き穴の使い手の情報が首都に届けば、魔王様は上級魔族の枷を外す。ここら一帯は、すぐにでも上級魔族の攻撃魔法で地表ごと消し飛ぶだろう。
 亡骸にすがりつく女の姿が見えた。
 正気に戻った、のかもしれないが、助けに行く余裕はテムニィには無かった。
 流石に相手が悪いとしか言いようが無い。
 テムニィに出来ることは、この情報を持ち帰って、他の魔族に仇を取って貰うことだ。
 これまでの任務で、多くの仲間が死に行く様を見送ったように。
 《千里眼》で見た物を伝えることが、テムニィの最大の武器だから。
「悪いけど恨むなよ。奥さんと一緒なら、寂しくないだろ」
 転移魔法を発動させる。
 馴染みの光に包まれる間に、ふと、気がついた。
 ガルガを殺した男は、何処に消えた。

 と、耳元で声がきこえた。
「良い目をしてるのも、考え物だ」
 空間が歪む。
 亀裂が入ったのは、空間か。それとも、《千里眼》の眼の方か。
 決してくもらず、壊れないようにと《鍛冶師》の念が込められていた眼鏡が、真っ二つに割れた。


  ・/・


 泣いて、泣いて。頬に落ちた暖かいしずくが流れて行く。
 死なないで、と彼女が叫ぶ。
 その表情は、別れたときの彼女のものだ。
 死なないで、と彼女が胸を布で押さえても、見る間に真っ赤に染まっていった。
 冷たくなっていく身体を少しでも温めようと、彼女が手足をさすってる。
 彼女の背後に立つのは、緋色の目をした金髪の青年だった。
 《皆殺し》が死んだから、アルマの心を少しだけ解放したのだ。
 泣き喚く様を見たいがために。
 これをみれば、アルマが、向こうでどの様な目に遭っていたか想像がつくというものだ。
 似たようなことを何度も何度も繰り返して、イサンテはこの先も彼女を壊していくのだ。
「大丈夫。彼もすぐに蘇るさ。生きていて欲しいんだろう? だったら、もう一度、正気の君と取引をしようと思ってね」
 緋色の瞳が楽しげに笑っていた。
 アルマを止めようにも、瞬き一つままならず、呼吸してないのだから声も出ない。
 そもそも、この身体はすでに死んでいるから、残っている魂だけが見届けているに過ぎない。その魂も、そう遠からずに消えるのだろうという自覚があった。
 死者が蘇るなど有り得ないと、死んでいる今ならわかるのに。
 それを伝える術が無い。
 それが哀しくて、悔しくて、恨めしい。
「あちら側――人間の世界では、身体の一部があれば器はいくらでも複製できるのは、君も見ただろう。だから後は、死者の魂を新しい器に宿らせるだけで良いんだ。死んじゃった彼らに新品の身体をあげるのさ。ほら、簡単な話だろ? でも、困ったことに魂を呼び戻す術はこの魔界でも見つからなかった」
 でも、でも、と亡骸を抱えてアルマが首を横に振る。
 みんなで手を取り合って生きたいと笑っていた快活な娘が、見る影も無い。
 アルマに、あんな表情をとらせるようにしたイサンテが許せなくて。
 消えゆく我が身が悔しくて、無念だった。
「一緒に探すんだ。死者を蘇らせる方法をね。ボクらの、最愛の人にもう一度出会うために」
 アルマの肩を抱いて、そう囁くこの男を。
 蘇ったのなら、真っ先に殺してやる。
 そのためになら、この魂までもが黒い霧と化しても構わない。
 そんな怨嗟の言葉は、二人の耳には届かなかった。


  ・/・


 ダリアロの首都。
 その第二層、貴族たちの住まう地域もまた最下層と同様に静かなものだった。
 使用人を含めて、多くの魔族が赤き獣の迎撃に出ているからだ。
 バルコニーから色とりどりの花が咲き乱れる庭園を見下ろしていたユミルは、足音を聞いて室内へと振り返った。
 魔王の使い魔の一人が、届いたばかりの知らせを口にする。
 その表情から良い知らせであることがわかった。
「ユミル様。遠見から《皆殺し》が成功したとの報告が入りました。一時的に通信が途絶えたのは、おそらくは《皆殺し》の霧に遮られたためと思われます」
「そうか。やってくれたか……生存者は?」
 静かに使い魔は首を横に振った。
「いえ。今、現地を捜索していますが、《皆殺し》はおそらく相打ちに。それと、後続の偵察部隊も現地の戦闘に巻き込まれたらしく、遠見からは生存は難しいとのことです。中に、《千里眼》も含まれていたとか」
「……そうか。わかった。下がって良いぞ」
「失礼します」
 一人になったユミルは、部屋に戻るとソファーに深々と腰を下ろした。
 テーブルには、勝利の祝杯にと用意していたボトルとグラスが並んでいた。
 作戦の前に、《皆殺し》からグレゴールの置き土産と渡された物だ。
「戻ってきた連中と一緒に飲もうと思ってたんだんがな。結局、私ひとりか」
 赤き獣を毒の沼へと追い込む役に回された者、沼地で迎え撃った者、敵の手に落ちた者。
 ユミルは、ボトルを開けるでもなくながめていた。
 サジェスト、ガデンが滅び、両国を蹂躙した赤き獣も命を落とした。
 最後に勝ったのはダリアロだ。
 今ここに、魔界の王が決定されたのだ。
「これから忙しくなるな。お前たちの手柄は、ちゃんと後世に残してやる。それがあたしのできる――最後の手向けだ」
 サジェス、ガデンという脅威が消え、戦争が終わった以上、無用となったなりそこない部隊はこのまま解散になるだろう。
 最悪、新市街地そのものが用済みになる可能性がある。
 彼らの住んでいた街を守り、《なりそこないの魔物》を魔族へと昇格させること。
 これがユミルに残された最後の戦い。
 これがユミルから彼らへと返せる、最後の恩。
「こいつは、その願いが叶ったら開けるとするよ。それが一番、美味しく飲めそうだ」
 そう言って、ユミル=レイ=オルタシアはボトルを置いた。




 《皆殺し》のガルガ。毒の沼地にて死亡。遺体の発見できず。
 《無能》のアルマ。毒の沼地にて死亡。遺体の発見できず。

 《千里眼》のテムニィ。北の地平にて死亡。慚死体となって発見。
 《魔法学士》グレゴール。黒き穴の調査中に行方不明。

 《鍛冶師》のユミル。オルタシアの蛇として政界に参戦す。


  ・/・



 昔々、そのまた昔、魔界には三つの国が争っていました。
 時に地形をも大きく変えながら魔族たちが争う中、魔族として認めてもらえない弱い生き物たちがいました。
 《なりそこないの魔物》と呼ばれ、迫害されていた者たちです。

 けれど、彼らが迫害されていたのは、魔界統一が果たされる前の話。
 百年が過ぎ、千年が過ぎ、万年が過ぎ。
 もう誰も、彼らをなりそこないなどとは言いません。
 今ではよき隣人、魔族の一員なのですから。

 一体いつから彼らが魔族になったのか。
 どうして、彼らが魔族になりえたのか。
 その理由は時の彼方に。






    おわり
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日付:2013.06.28(Fri)
分類:ゼロの刻
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