逆しまの空4-4
2007.08.10(Fri)
 タオは数日ぶりの外を満喫していた。

 広げる両腕や頭にかかる雨は冷たくなく、逆にシャワーでも浴びているような心地よさに目を細める。
 ついつい、見知らぬ生き物に目を奪われそうになりながらも、タオは真っ直ぐに森の中を駆けた。
 リューイの向かった方向さえわかっていれば、あとは少し集中すれば、天使たちが何処にいるのかわかった。
 いつの日か、人界で迷子になっていたタオをリューイが見つけ出すのにも、同じ手を使ったのだろう。人間の子供を助けるために翼を出したことで、探知されたのだ。
 タオは、主人格のリスカと一部の記憶を共有していたが、下位の意識存在であり、主人格の考えていることはわからなかった。
 ただ、リスカがリューイ(パパ)を守りたがっている気持ちだけが強く伝わってきた。
「これも、ヒジョージタイって奴だもんね。隠れんぼしながら、パパを助けるの。簡単、簡単」
 何処か楽しげにタオは言った。
 そして、この暗い森では、明るすぎる白い翼が視界に映ると茂みの中にもぐりこんだ。
「何かあったらボクが守る。何もなかったら、パパより先に家に帰る」
 主人格(リスカ)からの指示を繰り返し、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。



 雨はしとしとと降り続いていた。
 リューイはフードを外すと、辺りを見渡した。
 大きな川を中心に円を描くようにして、その一角だけ、木々が折れ、消し飛んでいた。
「これは、酷いな」
 辛うじて残った木の根も、触れると脆く崩れる。
 この雨で、ほとんどの残骸が土に還ってしまったように見えた。
 ここが、サナが黒い翼の者に襲われた場所だ。
 サナの話では、対岸から渡ってこようとした黒い翼の少年が、何か魔法を使ったのだと言う。
 そして、その時の光景を映し出してくれた。
 肝心の爆発は、サナは見ていなかった。
 わかったのは、閃光とそして対岸に倒れていた黒い翼の少年の姿と騒動に駆けつけた者が他にもいるということ。
「爆発が黒い翼の少年が起こしたのだとしたら、自分も巻き込むような術を使うだろうか。それも、こんな無差別な」
 指に残った粉を振り落としながら、リューイは言った。
 対岸の方の様子を調べているフォトとラライの二人の方に目を向けていたクウは、肩をすくめて答えた。
「さぁ、相手は子供だったと言うから、術に失敗したのかもしれない。それとも、そういう使い捨ての兵士が存在するのかもしれない。考えても無駄じゃあないですかね? 天使の常識がどこまで異世界に通用するかどうか」
「仮に、適用させるとどうだろう」
「優等生な回答なら、フォトの方が上手いでしょう?」
 クウはフードを外し、面倒くさそうに言った。
「フォトは常に私を肯定するような言葉を選んでいるからね。ラライも、他人の失敗を庇いつづけ、押し付けられた挙句にこんな所にまで来てしまった。それでもまだ、自分が貧乏くじを引いたことに気づいてすらいない。君なら、少し、違う意見が聴けるかと思ってね」
「それで、わざわざ二人に向こう岸を調べに行かせたんですか? 団体行動厳守の今の状況じゃ、こうでもないと話ができないから」
 クウは呆れたように、空の様子を窺いながら言った。
 空にも森にも、いつ何処に黒い翼の者が潜んでいるともしれないのだ。
「最近は真面目にやっているようだけど、君は人前だとすぐにはぐらかすからね。かと言って、君だけを呼び出して話すような真似は嫌だろう? 私は『暢気者』の君ではなく、『ゲート開発支部に送られることになった』君の話がききたいと思ってね」
 リューイは真っ直ぐに、クウの横顔を見据えていた。
 空色の髪の中にある垂れ目がちの瞳は、茫洋として何を考えているのかわからないところがある。男女のどちらともとれない顔立ちは、彼がまだ大人ではなく、中性体であることを示しているようだった。
 天使は中性で生まれ、大人になるときに男・女どちらかの性を選択する。一般に、男の方が身体的に強く、女の方が慈愛に基づいた癒しの魔法が得意になると言われている。
 決断は先延ばしにもできるが、少なくとも大人であった方が何をするにも都合がいいはずだった。どちらを選んでも力自体は増大する。
 クウは、垂れ目がちの目を細めて、暗雲を眺めたまま口を動かした。
「まぁ。それなら、リューイ様のおっしゃっていた、『第三者にはめられた』に条件付の賛成で」
「ほう?」
「最長老様にとって、我々は目の上のたんこぶだ。堂々と反対意見を唱えたアナタとそのパートナーにしかり、自分の立場を脅かす幼子にしかり、単に気に触っただけの者もいれば、彼女の美的感覚に沿わなくなった者もいる。見下していた人間なんぞに心を奪われた者もいる。適当な職を与えて、『辺境』に追いやり満足していたが……それでも足りなくなったとしたら? リスカ様が『辺境』にこられてたったの一年で、第四の世界が発見されたのは果して偶然だろうか」
 雨が徐々に弱まるにつれ、暗雲はまた轟く光を取り戻しだしのか、幾度も閃光が辺りを照らす。
「アルンの話しを思い出して下さい。彼は、最長老様の親衛隊だった。そして、『ゲート開発支部』とは別に、異世界の探索を命じられていた。もし、彼が垣間見、目を失うことになった原因が、この地界の空に浮かぶ闇の塊だったらどうでしょう。最長老様は、この世界の存在をとうの昔に知っていたとしたら? 調査の名目で、我々を処分したがっているとしたら? だとしたら、天界側の言う第二陣の準備は、ただの足止めだ。我々が、異世界で事故に遭うのを待つためのね」
「嫌な話だね。では、条件というのは?」
「これは、天界側に原因があるとした場合の仮定の上での話で証拠になるものがない。それに、第三者を唱えるなら、肝心のこの世界について知らなすぎる。この世界が抱え込んでいる騒動に、巻き込まれているだけかもしれない。その辺の事は、今回接触次第で、見えてくるかと」
「……なるほど、でも君は、少なくともこの第四世界の発見には、『中央』が絡んでいると考えているわけだ。彼らが、不幸な事故を望んでいると予想していながら、どうして君は賛成したんだい?」
「何か事を成そうと思ったらね、犠牲が必要なこともあるんですよ。――リューイ様」
 クウは急に言葉を切ると、来た方の森を睨む。
 片腕を伸ばし、四枚の翼の天使を庇うように前に出る。
「来たのか?」リューイが声を潜める。
 暗闇の中に人の姿を見ようと、目を凝らす。
 しかし、茂みから小さな生き物が飛び出し、跳ねていくのを見て、クウは肩を落とした。
「……すみません。緊張しているみたいだ」
「いいさ。そろそろ、こちらから呼ぶことにしよう」
 クウの背中を叩いたあと、リューイは対岸にいるフォトとラライに声をかける。
 さっき生き物が飛び出してきた茂みが、再び揺れるのは誰も気がつかなかった。


「あっぶなーい」
 緊張感の無い声で、タオはもう一度茂みから顔を出した。
 さっき慌てて隠れた時は、少し頭が出ていたような気がする。緑の髪で良かったとこの日ばかりは、感謝したい気持ちだった。
「クウって、本当はちょっと怖いんだぁ」
 あんな風に、クウから敵意の眼差しを向けられたのは初めてだった。
 この先は身を隠す場所がないので、これ以上近づけなかった。
 話をしているのがわかっていても、会話までは聞こえなかった。
「魔法を使えば聞こえるのになぁ…。でも、ハドウが出るから見つかっちゃうんだよね。……うん。盗み聞きは行儀悪いもんね。ボク、やらないよ」
 好奇心いっぱいの瞳を輝かせながら、タオは言う。
 もし、犬のしっぽでもあれば、ぱたぱたと勢い良く振っていることだろう。
 やがて、四人の天使が集まると、彼らは空に光球を打ち上げた。
 一つめは、空高く上がったところで、光の粒を撒き散らした。
「たーまやー」
 人界で見た、花火を思い出してタオは手を叩いた。
 立て続けに三つ、空に花開いた後、四つ目は蕾のまま上空に留まった。
「あれ、不発かな?」
 タオは首をかしげた。
 しばらくたってから、また立て続けに三つ。そのあと、炸裂しないのが一つ。
 タオは眉をよせて、星の見えない暗い空を見上げた。
 綺麗だと喜んだと思ったら、花火が止んで。
 終わったのかと思ったら、また花火が始まる。
 黒い翼の者を呼ぶための信号なのだと思いつかないタオは、そんな気まぐれな花火にむくれた。



 それは、鳥にしては大きすぎる羽音だった。
 フォトは四度目の信号をあげようと伸ばした腕を降ろした。
「リューイ様。来ました」
 光球が照らし出す暗闇に、大きな翼を持つ人影が四つ。
「――――」
 低く、うなるような言葉で何か言いながら四つの人影が対岸に降り立った。
 その中に、サナが見せてくれた映像にいた少年の姿も混ざっていた。
「一人、足りないな。サナの映像には、五人居た」
 リューイは緊張した面持ちで、後ろの仲間たちに伝える。
 黒い翼を持つ者は、男が三人、女が一人のように見えた。
 体格も天使や人間とそう大差なく、闇色の髪と浅黒い肌をしていた。男三人は鎧をまとい、少なくとも、この世界に戦が存在することを思わせた。
 一番後ろに立つ者のみ、四枚の翼を持っていた。
 天界の常識、翼の多い者が上に立つ定めに当てはめれば、彼が指揮官だ。
 そして、それは他の二枚の翼を持つ三人が彼を守るように囲んでいることから、間違いではないと思われた。
 腰まである漆黒の髪に、意志の強い瞳。一見、武器の携帯はしてないようだが、彼の堂々とした立ち姿は武人そのものだ。
「――――」
 サナと接触した少年が、こちらを指差し仲間たちに何かを告げ、飛び出しそうになるのを同じ二枚の翼の男に押し止められていた。
「どうやら、彼らには理性が存在し、向こうもすぐに戦闘する意志はないようだ」
 リューイは、一つ関門を突破したことに安堵した。
「リューイ様。くれぐれもご用心をお忘れなく」
 隣で、フォトが白い四枚の翼を持つ青年(リーダー)を睨む。
 わかっているよ、と青年は苦笑いを浮かべた。
「――――」
 血気盛んな少年を押さえている黒い翼の男が、言葉と思われる声を発した。
 指揮官とは違い、短い髪と前髪で右目が隠れている。黒い縁取りの中で、夜行性の獣を思わせる金の瞳が宿っていた。
「残念だが、私たちには貴方がたの言葉がわからない。しかし、我々に戦う意思はないことをどうか、理解していただけないだろうか」
 リューイの言葉が、この地界の何処にも属さない言語とわかったのか、黒い翼の者たちは囁きあう。
 片目が髪で隠れる男が、指揮官に伺いを立てているようにも見えた。
 逆に、少年と残った女の方はこちらを時折、鋭く睨みながら、乱暴に話している。
「私たちは、そう例えるならあの雲の向こうからやってきた」
 リューイは空を指差し、次いで地面を指出した。
 その後、自分自身の胸に手を置いて、
「私が代表の、リューイ。リューイだ」
 名前の部分を強く、はっきりと繰り返して告げる。
「竜亥(リューイ)?」
 黒い翼の少年が、オウム返しに答えた所でリューイは頷くと、仲間たちに順に腕を向けた。
「こちらが、フォト、ラライ、クウだ」
 紹介にあわせて、順に会釈をする。この行為が、この世界での礼に沿っているかどうかはわからないが、誰の名を告げているのかだけでも伝われば、良かった。
「仁(ジン)」低い声で、指揮官の男が告げた。
「仁(ジン)。それが、貴方の名前か」
 指揮官が名乗り上げたことに、少年が驚き、食ってかかる。
 しかし、片目の隠れた男に睨まれて、少年は引き下がった。
「泥飢(ディーガ)」片目の男が名乗る。
「……炎斬(カザン)」ぶっきらぼうに、女も答えた。
 女は薄着で、動きやすそうな服装をしていた。肌の露出を好まない天使とは反対に、肩やその長い足が剥き出しだった。燃えたぎるマグマのように赤い瞳が印象的だった。
 眉を釣り上げぎみに、こちらを見てくる。
「――――――」
 少年だけが、名乗らずにこちらと仲間たちに向けて、早口で何か訴えているようだった。
 片目の男に睨まれても態度を変えるつもりは無いらしく、腕を組んでそっぽ向く。名乗る気はない様だった。
「どうやら、彼には嫌われてしまったようだ。ラライ、捕えたサンプルをこちらに」
「はい」
 こちらの動きに、黒い翼の者たちが警戒の色を固める。
 が、ラライの腕の中にあるものが、この森ではありふれた小動物と十分に見せると、警戒が薄らいだ。
 ラライの腕の中で、長い尾と黒い毛並みの小動物が気持ち良さそうに目を細める。
 リューイは、言葉が通じていないのを承知で、黒い翼の者たちに語りかけた。
「私たちには、言葉の法を用いて、異種族の言語を読み取ることができる。これが、異界の生き物にも通用することは、すでに調査済みだ。今から、実践してみせる」
 口の横で喋ることを強調するように、手を閉じたり開いたりして見せた後、うとうとと気持ち良さそうにしている獣の額に指をかざした。
 黒い翼の者たちは、互いに顔を見合わせながら、こちらの動向を見守っている。
 数秒ほどして、リューイは獣から指を離した。
『*****(起きて、ご飯だよ)』
 獣の鳴き声としか、とれない声で小動物に語りかける。
 獣の言葉を読み取ったのだ。
 その声に、眠りかけていた小動物は目を覚まし、ラライの腕から降りると、首を目一杯伸ばして辺りを窺った。
 そして、盛んに鳴いて、仲間を呼んでいた。
『*****(おいで)』
 リューイは、懐からこの森で採取した木の実を取り出すと、濡れた土に膝をついた。
 獣は仲間とかけ離れた姿の青年に戸惑っていたが、素早い動きで、彼の手から木の実を掠め取ると森の中へと駆けて行った。
「……えっと、もう少し、手伝って欲しかったのですが、ね」
 空になった掌を下ろしたまま、少し困ったようにリューイは獣の駆けていった方をみた。
 フォトとクウが、後ろで溜息をついていた。
 白と黒の翼の者たちの視線を一身に浴びながら、リューイは咳払いをして立ち上がった。
「……と、まぁ。このようにですね。仁、私たちは、貴方がたとお話がしたい」
「今の説明で、わかりますかね?」
 リューイは、後ろで疑わしげに呟くクウの言葉に答えず、自分は無防備であることを知らしめるように腕を広げ、待った。
 片目の男、泥飢と仁がしきりに言葉を交わしていた。
「えー……痛みなどはありません。ただ、貴方がたの中からお一人、手を貸していただきたい」
 リューイは右手を差し出し、優しく語りかける。
 例え言葉が通じなくても、ジェスチャーで伝えようとした。
 黒い翼の者たちは二、三言葉を交わしたあと、炎斬と名乗った女が翼をはためかせ、前に出た。彼女が術を受けようと言うのだ。
 しかし、飛び立とうした炎斬の腕を、少年が掴んで引き戻した。
 代わりに少年が、こちら側に飛んでくる。
 得体の知れない連中、つまり我々の元に、女性に向かわせることが許せなかったようだった。
 炎斬や泥飢が少年に向けて言葉を発したが、少年は対岸からこちら側の岸辺に降り立った。
 こちらから数メートル離れた岸辺で、少年は仁王立ちになると、ふてくされた顔で何か告げながら、親指で自分を指差した。
 俺にしろ、とでも言っているのだろう。
 その少年のふてくされたような表情に、リューイは少し笑みを零した。
 一年前、四六時中そんな顔をしていた幼い子供に出会ったことがある。口下手で素直になれない子供だ。
 クウはさて、とつぶやき軽くほぐすように右手を振る。
 フォトはリューイについで魔力が高い、ラライは伝令、残ったクウが、言葉の法を施すことになっていた。
「じゃあ、すぐ済ませてきますから」
「いや、私が行こう。私自身が行く方が、信頼の証になる」
 そう言って、リューイが歩き出す。
 これには、天使の三人とも驚きを隠せなかった。
 クウが慌てて、リューイを追いかける。
「はあ? ちょっと、貴方に何かあったら」
「その時は申し訳ないが、リスカのことを頼む」
「リューイ様っ!」
 さらに追いかけようとするクウの肩を、フォトが掴んで止めた。
「クウ、リューイ様は貴方の能力を信頼している。もし、何かあったら、きっと守ってくれるだろう、と。その期待に答えてくれまいか」
 紳士的な言葉とは裏腹に、フォトの端整な顔は苦渋に満ちていた。誰よりも青年を心配しているのは、パートナーである彼女なのだ。
 仁を名乗る向こうの指揮官も、リューイの行動に感心しているようだった。
 それを認めて、クウは引き下がった。
 ここで無理を通して、黒い翼の者たちから不審を抱かれるわけにはいかなかった。
 リューイが近づく間、少年は身じろぎひとつしなかった。
 背丈は泣き虫のミューと同じくらいだろうか、リューイの肩のあたりに少年の頭があった。
 サナの見せてくれた映像では、鎧と思しきものを全身に纏っていたが、今は胸当てくらいしかつけていない。
「あの爆発に巻き込まれて怪我したかと思ったけど……そうか、着ていた服が君を守ったのか。…良かった」
 見たところ、サナのように指を怪我している様子もなく、元気そうだった。
 少年の左眼の周りに痣が出来ているのを見て、リューイは指を伸ばし。
「おや? その怪我は――」
「――――」
 少年が身をすくめ、怒鳴るのでリューイは手を下げた。
 少なくとも、あの爆発とは無関係の怪我のようだ。
 炎斬が対岸から何か少年に声をかける。
 どうも、度胸がないなら自分と代われと言っているように感じた。
 少年は炎斬に怒鳴り返すと、覚悟を決めたらしく腕を組んで口を閉じた。
「そうだな。先に、君の名前を聞かせてくれないか? 私はリューイ」
「………迅雷(ジンラ)」
「迅雷か、いい名前だね」
 リューイは迅雷を刺激しなよう、そっと少年の額に手を添えた。

コメント

▼コメントを残す

コメント
パスワード