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逆しまの空4-6

Category逆しまの空
 迅雷(じんら)とリューイの動向を、各々の仲間が見守っていた。
 さっきの小動物と違って、より複雑で数多くの単語がリューイへと流れ込む。
 始めは単純な火や水、木などの名前から、次第にそれらを合わせた名前へと、先ほどの獣とは比べ物にならない複雑な言葉がリューイの閉じた眼の裏に次々と映し出された。
(言葉を識ることは、相手の文化の一端を知ることになる)
 この森が、安息の森と呼ばれていること。
 先ほどの獣が、チイと呼ばれていること。
 目の前の川の名、この地方の名、さらには彼らの国の名。
『地牙族……それが、君たち黒い翼を持つ種族たちの名前だね?』
 リューイの言葉に、迅雷は息をのんだ。
 ほんの数分で、青年は地牙族の言葉を口にしたのだ。
 迅雷は目を開けて、
『……そうだ。お前らは何だ。何処から来た』
『すみません。もう少しで終わりますので、後少しそのままで。ただ、我々に戦う意思はない事だけは、理解していただきたい』
『……わかった』
『ありがとう。これが済めば、皆できちんと――』
 リューイは眉をよせ、瞼(まぶた)の裏に映る言葉の流れを、ひとつとして取りのがす事の無いよう意識を集中させた。
 空を示す言葉と同じように、政治や陰謀を司る言葉が酷く少ない。
 代わって、大地を示す言葉と戦の形式や一騎打ちでの儀礼を指す言葉の種類が豊富だった。
 生まれ持った翼の枚数が多い者ほど、上の役職につけるところは天界と同じようだった。
(無知による不安が、この地界を闇に見せていた、か。『闇』を道具として扱う他は、我々と思考にも大差はない……が、こんな偶然が?)
 迅雷から言葉を理解するほどに、この世界が天界とは逆の性質を帯びていることがわかってくる。
 非常に良く似ていながら、力の源が逆。
 世界は、虚無の海に実る果実のようなものだ。それこそ、多種多様の理(ことわり)が果実の中で育っている。これまで天使には、入ることもままならない世界も存在した。天使の存在が、各々の世界の理を乱すとき、世界障壁は天使――異界の住人を頑なに拒む。
 天界と隣接している人界ならいざ知らず、逆の性質でありながら共に存在が許される世界を虚無の海から発見できること。そして、その地に自身が立っていることが、不思議でならなかった。
(この分なら地牙族は、そう悪い人たちでも無さそうだ。ひとつでも多く、この地界の言葉を)
 さらに意識を集中させようというとき、瞼の裏に映る文字が揺らいだ。
 崩れた文字が集まり、黒い獣を成す。
 それは闇。光を焦がす闇の牙。
 ぞっとする恐怖と共に、背筋が凍る。
(いけない。長居しすぎたか)
 リューイは、自身の知覚を戻す手順を後回しにして、迅雷から逃げるようにその手を離した。
 離れるリューイの手を追って、迅雷の体から闇の牙が踊り出る。それは、光の侵入を拒む、防衛機能。
 リューイは両目を押さえたまま、後ろによろめいた。
「リューイ様に、何をするっ」
 そんな青年を支えるようにして、彼のパートナーであるフォトは闇への怖れを怒りへと変え、対峙している少年を突き飛ばす。
 水の上で尻餅をついたまま、迅雷は唖然としていた。
 すでに、迅雷が目を開けたときに、体から出た闇は消えうせていた。
「止めるんだ、フォト」
 額に手をついたまま、青年は耳を頼りに呼びかけた。
 今のはこちらの落ち度なのだと。
 そう、伝える時間は無かった。
『迅雷、飛べっ。援護する』
 対岸で、炎斬(カザン)を名乗った地牙族の女が叫ぶ。
 その腕には、闇より生み出した弓矢を番えていた。
 迅雷は慌てて、翼を広げ羽ばたいた。
 少年の背後で、巨大な輝ける光の盾が生まれた。
 盾からの光が雷よりも鮮明に、森を照らし出した。
「『闇』から武器を生み出す。それが、彼らの術か」
 光を帯びる右手を掲げて、クウは盾の向こう側の湾曲した視界を見据えた。
 クウは、地牙族を呼ぶ前から、如何なる事態が訪れても、防ぎきるだけの魔力を込めた盾を発動寸前にして、ずっと堪えていた。
 早撃ちで生み出す術はたかが知れているが、これなら、という自負がクウにはあった。
『待て、炎斬、控えろっ』
 仁を名乗った四枚の翼を持つ男が、光に目を眩ませながらも言った。
 しかし、炎斬は初めて見る光に慄き、手を離した。
 フォトに肩を借りたまま、リューイは今だ開かない眼のまま、叫んだ。
「駄目だ、『逃げろ』!」
 最後の言葉は、対岸に向けた言葉だった。
 闇の矢と光の盾が真っ向から衝突した。
 刺されば岩をも砕く闇の矢のはずだった。
 いかなる攻撃からも受け止めきる盾のはずだった。
 遠く離れた茂みに潜んでいたタオは見た。
 光と闇、互いの術が接点から螺旋を描き、術が崩れる様を。
 光と闇の両方が細かな粒となり、互いに衝突を繰り返す。
 それは、これまでにない莫大な力となって、紅蓮の炎を吹き上げ、飛び散った。
 爆発に呑まれる様が、酷くゆっくりに感じた。
 タオは、目の前の茂みの葉を握りしめた。
「ヤダっ。ヤダよっ。お願い、みんなを助けてよっ」
 一心に目の前の植物に祈った。
 タオの声に答えたのは――。



 クウは、ゆっくりと目を開けた。
「生きてる……?」
 爆発から遮ったものを見上げて、つぶやいた。
 それは、以前、迅雷の槍とサナの術の爆発でひしゃげた木々たちに残された、根だった。
「一体、誰が」
 クウが頭を振り、周囲を確認した。
 木の根の守りから外れた場所は、地面が抉れ、川の水が流れこんでいた。
 リューイに肩を貸したままのフォトも、かの青年も、最速を誇るラライも木の根を不思議そうにみていた。
 しかし、遠くで聞える泣き声に四人は顔を向けた。
「うわああん。ヤダよ。みんな、居なくなったりしないでよ」
 緑の髪の子供が、両腕で顔をこすっていた。
「その声は……タオ、着いて来てたのか」
 リューイが瞳を閉じたまま、子供の名前を呼んだ。
 はたと、タオは泣くのをやめて、その真っ赤な目で前を見た。
 しばらく、黙ったあと、また涙を溢れさせて、タオは天使たちの元に駆け寄った。
「大丈夫だよ、タオ。私たちは居なくなったりしないから」
 胸に飛びついてきた、タオの頭を撫でながらリューイは優しくつげた。
 肩を貸していたフォトは、魔力の高まりを感じて顔を上げた。
「リューイ様、闇がっ」
 木の根の壁、その向こうで闇と力が集まろうとしていた。
 そこにあるのは、怒りだ。
「いけない。彼らに伝えなくては、今のは事故だと――」
「もう、無理です。リューイ様、一刻も早くこの場から離れませんと」
 根の方に向かおうとするリューイの腕にフォトがしがみ付いて止めた。壁の向こうで、どれだけの闇が渦巻いているか、想像がつかなかった。
「君たちはすぐにここから離れろ。私は、もう一度、彼らとの交渉を試みる。先ほどのは、私のミスだ」
 乾いた音が響いた。
 頬を押さえ、呆然としている青年に代わって、隣に居たフォトが声を荒げた。
「クウ、どうして」
「二枚の翼の者が、四枚の翼の者を叩いたことか? 『中央』なら、今ので不敬罪を問われているところかな。でもさ、これで目が覚めただろ?」
 クウは、叩いた右手を自分の首に当てたまま告げた。
 普段の暢気さは何処にもない。
 高まる闇の気配に、そんな余裕は無かった。
 戸惑ったままの、リューイとフォトを置いて、クウは最速の天使を指差した。
「ラライは先に行って、待機組みに連絡を。今、ここに来られたら面倒なことになる。撤収する」
「……承知した」
 ラライが踵を返す、頭の上で縛り上げた髪が揺れた。
 今だに閉じたままの瞳で、リューイは言った。
「クウ、私は残る。私にはこの事態を招いた責任がある」
「――子供も巻き込むつもりですか?」
 リューイは、自分に抱きついたままの子供の感触を思い出した。
 お日様の匂いのする子供だ。
「くそっ」
 リューイは、彼にしては珍しく毒づくと、対岸に背を向けた。

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