逆しまの空4-9
2007.08.10(Fri)
***


 何となく、リスカは彼女が最後に言った言葉を思い返そうとした。

 でも、出てこない。ほんの数刻前のことだと言うのに、そんなに自分の頭がボケているのだろうか、と首を傾げた。
 ミューはずっと泣いてる、あまりに五月蝿いから寝室の方に追いやられて、それでも嗚咽が広間に漏れていた。
 この第四世界、地界の住人――地牙族の言葉は手に入れた。けれど交渉は失敗、また一人仲間を失った。
 重苦しい空気が、広間にのしかかっていた。
 湯気の立つカップを両手で掴んで、シーがぽつりぽつりと話出した。
「ボク、悲鳴が聞えて……、ほんの少し、大樹の一本や二本くらいの距離に居たのに。助けられなかった。暗かったからよく見えなかったけど、でも闇の中を羽ばたきが聞えたんだ。黒い、翼の……」
 話ながら、何度もシーは涙を拭った。
 そんなシーの頭をヒュノが抱き寄せる。
 無理するな、と言っているかのようだった。
 シーが自分の服の袖に顔を埋める。
 代わって、ヒュノが口を開いた。
「俺は連中の姿は見てねぇ。シーの声がして、行ってみたら……あの有り様だった。惨いよな。あれじゃあ、天使(おれら)にだって癒せない」
 沈痛な面持ちで、ヒュノは部屋の奥に視線を落とした。
 黒い包帯を巻いた青年が、薄い布を被せられた妹の身体に触れていた。目が悪いのを補うように――その目で見たものが信じられないと、妹の顔や体に触れている。
 その青年の指が、何度も、本来有り得ない場所のくぼみに落ちる度、アルンの手が止まった。
 ヒュノは言葉を続けた。
「器だけなら、いくらでも『作り変え』てやれる。でも、失った魂までは無理だ。魂の創造だけは最長老様にだって、母親にだってできない。子を授ける神様だけだ」
「……私のせいだ」
 ぽつりと、リスカは呟いた。
 自分が勝手に出かけなかったら、ノルンも探しに出ることもなく、襲われることもなかった。
 壁にもたれ、頭の後ろで腕を組んでいるクウが口を開く。
「まさか、そうなったら今度は交渉組が危なかった。リューイ様の目ひとつで済んだのは、他でもないリスカ様のおかげだ。二枚の翼の者と四枚の翼、どちらの命が大事か考える間でもない。ノルンは自らの務めを果し、リューイ様もリスカ様もご無事であった。それに勝る――」
「翼の数なんて関係ない。同じ、一つの魂を宿した者だろうっ! なんで、そんな冷たい事を言える!」
 硬く握った掌を震わせて、怒鳴り声をあげたのはローランだった。
 眼鏡の下は、泣きはらした赤い目があった。
 クウは組んでいた腕を降ろした。
「生前の彼女の行為を称えることが冷たいだって? 彼女の死には意味があり、それは無くてはならない犠牲だった。そう解釈した方が、皆にとって良いだろう?」
「それは――でも」
 ローランの目線が部屋を彷徨う。
 クウの目は猛禽類を思わせる鋭さがあった。
 前に一度、同じ瞳に睨まれたことがある。
 黒い翼の者達との交渉現場に、タオの姿で潜んで居た時、彼はこんな目をしていた。
 なんとなしに、リスカはこっちのクウが本当の彼のような気がした。
 暢気者の白鳩の皮をかぶるのをやめた鷹は言葉を続ける。
「それとも、まさか君は誰に罪があったか、なんて無駄な話をする気かい? それこそ全員に咎を与えることになる。無断で抜け出した罪、交渉失敗させた罪、少人数で探しに出た罪、上げ連ねて何の得がある? ローラン、賢い君ならわかるだろう。そんな話をしたら、誰に罪が向かってしまうか」
 ローランの瞳が揺れる、それは、四枚の翼を持つ青年と六枚の翼を持つ幼子に一瞬目を向けて、すぐに俯いた。
 青年はこの場の実質責任者、リーダーだ。視力こそ取り戻したものの、彼の瞳は未だ混濁したままで、今も濡らした手ぬぐいで目の上から押さえていた。
 そして、もう一人は書類上での責任者。いくらなんでも巻き込まれただけの幼い子供に当たる気は、ローランに無いのだろう。黙って顔を伏せる。
 寝室からはミューの泣き声が聞えて、全員俯いたまま何も口にしない。
 リィとレイを失った時と同じだ。皆、悲しすぎて、言葉が出てこないのだ。
 ずっと妹の身体を、それこそ足のつめ先まで丹念に触れていたアルンがふらりと立ち上がった。
「……誰に罪があるのか、なんて。悪いのはノルンの命を奪った者に決まっているじゃないの? ええ、不手際はあったでしょうね。でも、本当に悪いのは殺めたモノ。これは揺ぎない事実でしょう?」
 ぞっとする笑みを称えて、アルンが言った。
 彼の足元、捲れた布の下には生前と同じ妹の姿があった。ただ寝ているだけにも見えるその顔は、ほんの少し前までは見られたものじゃなかったはずだ。布に隠れたその身体も、今は人として正しいラインを保っていた。
 アルンは妹の死を確認しようと触れていたのではなく、元の綺麗な姿に戻そうと『作り変え』ていたのだ。
 その指先で、ノルンの怪我をひとつひとつ探り出して。
 それに気づいて、全員が息を飲む。
「ねぇ、クウ。貴方、『敵』の闇とアタシたちの光が混ざるだけで、爆発が起こる怖れがあるって言っていたわよね? だったら、攻撃魔法を持たないアタシでも戦えるわよねぇ」
「アルン、天使は戦えない。変な考えは止すんだ」
 熱を持つ瞳を押さえたまま、四枚の翼の守護天使が厳しい口調でつげた。
 目が良く見えていないリューイはまだ、アルンがさっきまで何をしていたのか気づいていない。
 ただ、アルンの声に不穏な気配を感じ取って口にしたのだろう。
「あら、アタシが施すのは守護の術よ。仕掛けてくる『敵』が自滅していくの。もっとも、何もしないでも結界で押し潰されてしまうけど」
 アルンは、口元に指を当てて小さく笑う。
 閉ざしたままの眼でリューイは、首を横に振った。
「そんな事をしたら、君は天使でいられなくなる。……ノルンは復讐を望むような娘だったか。違うだろう?」
 リューイの声は優しかった。
 妹の名前を聞いて、アルンは口元から笑みが消える。
「……飲んで」
 そんなアルンに、暖かいお茶が差し出された。
 短いポニーテールを揺らして、ラライはアルンの目があった場所を真っ直ぐに見詰めながら、ぶっきらぼうに差し出した。
 いつもなら、こういう役回りはサナや今は亡きノルンがやっていた。でも、サナは毛布を抱え、ずっと震えたままでいるし、まさか死人にお茶組は頼むわけにもいかず、自然とラライに当番が回ってきたのだろう。
 ラライはアルンが湯気の立つカップを受け取ったのを見て、語りかけた。
「『他の物の命を奪った天使は、翼を腐らせて死ぬ』。だから、良く考えて。調査に来たの、命の取り合いなんかじゃない。目的を見失わないで、あたし、アルンのそんな姿、見たくないから」
 アルンは一笑した。
「有名な話よね。でも、迷信かもよ。『中央』が逆らわないように巻いた嘘かも」
「本当だよ」
 クウが割って入った。
「翼から腐っていくのを見るのは、あまり良いもんじゃない。根元のね、芯から腐ってしまうから翼を切っても間に合わないんだ。痛いなんてものじゃないのだろうね。苦しみを終わらせてやることもできず、ただ、看取るしかないのは結構つらいよ?」
 まるで、見てきたことがあるかのような口ぶりで、クウは言った。
 ふと、リスカは、『辺境』に転属する前、クウが何処で何をしていたのか知らないことに気がついた。
 ノルンのように、医療部に務めていたのだろうか?
「アタシは天使で無くなったって構わない。それまでに一体でも多く、送ってあげる」
 アルンは手にしたお茶をひとつ口につけると、はっきりと答えた。
「……ボクも。みんなの仇を討ちたいよ」
 小さな声で答えたのは、先ほどまで顔を腕の中に埋めていたシーだった。
「ノルン、最後までボクの名前を呼んで。ボクの事を心配してたんだ。自分が本当に大変だってのに。だから、そんな彼女に報いたいんだ」
 俯きがちに話すので、シーの顔が隠れた。その柔らかい金色の前髪も、何処か色あせて見える。
 そんなシーの頭を、友人であるヒュノが小突いた。
「お前等、報いるとか、送るだとか。らしくねーよ。そりゃあ、サナが襲われた時に見かけたのが、五人」
 ヒュノは皆に向けて右手を開く、そのあと、指を一本折り曲げた。
「交渉に応じたのが四人で、その時居なかった奴がノルンを襲った……勘定はあうさ。でも、奴等が五人だけとは限らねぇだろ。リューイ様が得た奴等の言葉には、『街』や『都』の概念まであった。この地界にゃあ、万程度の人口はいるんじゃないか? あちらだって、もうただで済むよな空気じゃないんだろ? ンじゃあ、もう帰ろうぜ」
 ヒュノは、ちらりとラライへと目を向けて、
「俺は、闇に飲まれて消滅するのも、翼を腐らせて死ぬのもごめんだ」
 意外だな、とリスカはまじまじとヒュノの横顔を見詰めた。
 肩に触れるかどうかの空色の髪、体格は人間の男と比べると華奢に映るだろうか。元々中性で生まれてくる天使は男性を選んでも、しばらくは見た目では男女のどちらか判別がつきづらい。その中ではまだ、胸板や骨格が男、と見て取れるだけ、ヒュノは男らしい部類に入った。
 仏頂面で、いつもラライやローランと口論している、喧嘩好きのイメージが彼にはあった。
 臆病、という単語がリスカの頭に浮かんだ。
 それから、彼が戦鳥では無いことを思い出して、首を振った。
 気持ちのどこかで、争いごとになったらヒュノが頼りになると思い込んでいた自分に、首を振った。
 天使の剣となるのは、戦鳥たる自分が生まれ持った役割なのだから。
「帰れないよっ!」
 小突かれたシーは、顔を上げてヒュノを睨み返した。
「『中央』は、第二陣の到着までここに待機するように、ってボクらに命じた。向こう側の門だって、『中央』に押さえられちゃったじゃんか。ボクらはここで耐えるしかないのに、こんなんじゃ一ヶ月過ぎる前に……。だから――交渉が無理だったなら、ボクらがどれだけ強いか示さないと。何も命まで奪うことないから、ただ、ボクらに触れると痛い目をみるって解って貰えば良いんだ」
「これ以上の犠牲は容認できない」
 静かに、けれどしっかりとした声でリューイは部下の否定した。
「第四世界(地界)の言語を手に入れた。サンプルもある。多少、強引な手を使っても、『辺境』に居られるぐらいのお釣りは戻ってくるだろう。フォト、あちら側の門の制御は奪えるな?」
 リューイの隣で、濡らした手ぬぐいを交換していたフォトが、はい、と答えた。
 クウはまた頭の後ろで腕を組んで、
「『中央』を唸らせるような報告書を叩きつけるどころか、一緒に始末書も届けることになりそうだ」
 そう、ぼやいた。
 何となく、重苦しかった部屋の空気が緩和された気がした。
 帰る、となって安心した者が多いのだろう。
 皆、それぞれの準備をはじめようと立ち上がった。
 けれど、
「……それで、その強引な手段の代償をリスカ様に押し付けるの?」
 シーの言葉に、皆、彼の方を向いた。
 シーはまだ座ったままで、床を見つめていた。
 リスカは何の事かと思って、首をかしげる。
「責任、取らされるよ? 子供だから、なんて甘くみてはくれないよ。それとも、『監獄』育ちなら、『監獄』に戻したって構わないの?」
 リスカはふいに抱きかかえられた。
 花の匂い、サナだ。
「そんなことさせないわ。その前に、リスカちゃんは私と一緒に地上に―― 人界に降りて暮らすの」
「それならリスカ様を失った責任を取る事になるのは、次点のリューイ様だ。ボクらを庇ってくれた恩人を置いて、ボクらだけ逃げ出すの? それってさ、恩知らずって言うんじゃない?」
 サナの言葉がつまる。
「そんな心配、皆はしなくていい。元より、皆を率いた責任は取るつもりだ。ローラン、すまないがフォトと一緒に先に門に行って――」
「お断りします」
 片手で目に当てた手ぬぐいを押さえ、もう一方の手を壁につけて立ち上がろうとしたリューイが、自分の耳を疑うように、ローランの方を向いた。
 ローランは、その細長い眉を釣り上げて、胸の前で腕を組んで立っていた。腕を掴む手に力が入っている。
「リィは明るい娘でした。もっと女らしくしろと声をかけてくれたりして、いつも笑っていて。レイもそんな彼女と一緒に悪ふざけしたり、それでも二人共仕事ではとても真面目で……。ノルンは良き相談相手でした。いつも穏やかで、他人の健康には人一倍気をつかってくれて、寝込んで心細いとき、彼女は側で手を握ってくれた」
 ローランは一音一音、吐くように言葉を紡いだ。腕に雫が落ちる。
「帰りたい人は戻ればいい。でも、このまま帰るなんて、許せない。それ相応の罰を、黒い翼の者達にくれてやらないと」
 涙を零しながら訴えるローランの背中を、アルンがそっと撫でた。
「アタシも残るわ。妹の身体は、空に戻してあげて」
「……駄目だ。許可できない」
 リューイは手ぬぐいを外して、真っ直ぐに二人の姿を見た。
 その瞳にかつての光はなく、白く濁った膜に覆われていた。
「三人を失ったのは、異界探索を甘くみていた私の責任だ。恨むなら不甲斐無いリーダーである私を恨め。それに、まだ彼らと話し合う道が途絶えたわけでは、」
「でも、ノルンは失ったぞ。リューイ」
「リスカちゃんっ!?」
 リスカは頭上でサナが慌てる声を聞いた。
 サナの腕を押しのけて、リスカは自分の足で床に立った。
「お前の言う、話し合う道が途絶える時とは、どのような時を指すのだ。我々が絶滅した時のことか? それならば、話せる口を持つものが居ないのだ。交渉のしようがない」
 淡々と機械的にリスカは言葉を紡ぐ。
 リューイは、哀しそうに微笑んだ。
「リスカ、それは論理を飛躍させすぎているよ」
「リューイ。ここに来る前、私はお前に訊いたな。言葉も通じない、逃げることもできない、戦うしかない時がきたらどうするんだ、と。お前に責任があるのなら、私にも戦鳥としての役割がある」
 リスカは自分の胸に手を置いた。
 それは、堂々としたものだったが、幼い体と不釣合いだった。
「戦いを望む天使が居るのなら、私が彼らの矢となり、剣となろう。私はそのために生まれ、ただそれだけのために育てられた。……私は他に、皆のためにやれる事を知らない」
「――そんな事はない。君が『辺境』に来てくれて、皆が明るくなった。そのままでもちゃんと君は、皆の役に立っているよ。君は、私たち皆の子供なのだから」
 子供、という単語にリスカはむっと顔を歪めた。
 リューイは優しい。優しい、がそれが彼の欠点のように思えた。
 そもそも親の命を奪って生まれた戦鳥と、ひたすら他人を守り通すことに人生を費やしてきた守護天使とでは、肌が合わないものなのではないか。
 守護天使は、仲間を失っても尚、異種族を庇いつづけている。彼の中では『敵』『味方』の観点が薄い。
「私は、六枚の翼にして戦鳥だ」
 子供などではない、とリスカは心の中で付け足した。
 けれど、
「……そうね。リスカちゃん。残るのはアタシとローランだけでいいわ。勝ち目の無い戦に、六枚の翼を連れ出すような権限はアタシたちにはないもの」
「だが、二枚の翼に私の行動を制限する権限もないぞ」
 リスカは、アルンを睨みつけた。
「ええ。ですから、これはお願いね。アタシの分もアナタには沢山の物を見て欲しいの。そして、ノルンたちのお墓に聞かせてあげて。きっと、あの子も喜んでくれるから」
「そんなこと、自分ですればいいだろう」
 アルンが曖昧な笑みを浮かべる。
「その通りだ。アルン、ローラン。これでわかっただろう。君達が残ると、リスカも残ろうとする。許せない気持ちはわかる、けれど、やっと檻の外に出られたばかりの子供をこれ以上、巻き込むのか?」
「それは……」
 ローランが言いよどむ。
 リューイは、諭すように話す。
「機会を待とう。地界に来ることは、きっとまたあるだろう。その時は、また新しい道が開けているかもしれない。焦ることもない。我々に、寿命は無いのだから」
 ローランはゆっくりと息を吐く。
「わかりました。次の遠征の折には、どんなに止められても、私も行きます」
 アルンも肩を落とし、小さく笑うと、
「仕方ない、か」
「ちょっと、待ってよ、二人共、それで良いの!? もし天界がこの世界から手を引いたら、遠征なんて、出来なくなるんだよ」
 シーが両腕を広げて、声をあげた。
 うんうん、とリスカもシーの言葉に頷く。
 『夜』を恐れて人界にも降りないのだ。こんな闇の世界になど、二度と足を踏み入れないだろう。そんな予感がした。
 シーは、アルンの側に歩み寄ると彼を指差した。
「見損なったよっ! アルン、君はあんなに妹と――ノルンと仲が良かったのに。ノルンがどんな惨状だったか、君の瞳には映らないから、わからないのかもしれないけどね。あんなの、およそ人のやれる行いじゃないよっ。それなのに、君は」
 アルンはシーの胸倉を掴んで、
「……良いと思っているわけないだろう。見えていたら、ずっと楽だった。この耳も鼻も指も、人一倍敏感なんだ。少し、黙れ」
 いつもの高めの声ではなく、低い男の声で告げると、手を離した。
 次に顔を上げたとき、アルンはいつもの調子に戻っていた。
「そういう事だから、リスカちゃん。帰る準備をしましょう」
 シーはそのまま尻餅をつくと、拳を床に叩きつけた。
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