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逆しまの空1-2

Category逆しまの空
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 山道を二人の子供が登っていた
 先を歩くのは少年。着古した感のある服に磨り減った靴。何度も破くのだろう、膝小僧は色の違う布を使っていた。
 もう一人は麦わら帽子を被った女の子。上は若草色の柔らかそうな服、下には黒いスカート。どちらも新品同然の綺麗な服だった。
「もう、お前、ついてくんなよ」
 少年は、ここに来るまで何度口にしたかわからない文句を言った。
「えーっ。だって、病気のお母さんのためにお薬取りに行くんでしょ? じゃあ、ボクも手伝うよ」
 そう言って、女の子は笑いかけた。
 麦わら帽子から覗く短い緑色の髪と丸い耳。
 緑の髪なんて聞いたこともない。おそらく動物の毛を染めて作った飾りなのだろう。
 正直、女の子の存在は足手まといだった。
 良い所の育ちなのだろう、まるで山道を歩くのも初めてといった感じに、落ち着きなく辺りを見渡しては、少年に質問を投げかけてくる。
 無造作に生き物や草木に手を伸ばすので、危なっかしいくらいだった。
 そして、少年に注意されるたびに、「へぇ~。凄いね。物知りだね」と、女の子は感心した風に言う。
 反省しているようには見えない。
 ――バカだ。こいつ。
 それが、少年が少女に抱いた感想だった。
(自分のことをボクって言うし、名前も『タオ』とか言って女の子らしくないし。変な奴)
 最初は、馬車の通れる幅のあった山道は、次第に細く狭くなっていく。少年は度々、後ろを振り向いて、ちゃんとタオがついて来ているか確かめた。
 一定間隔で打ち込まれた杭が、道と斜面との目印だった。杭の向こう側が茂みなのか、崖なのか。少年には、落ちたら危ないとしかわからなかった。
 少年の手にした杖の真似のつもりか、タオは途中で拾った小枝を振り回しながら歩いていた。
「ねー。ねー。これ何かな」
 無邪気な声が、少年の背中にかかる。
 今度こそ追い返そう、と渋々と振り向いて、少年はぎょっとした。
 タオが手にした枝で、毒蛇の首の根元を押さえ込んでいた。蛇は牙を剥いて威嚇していた。
 少年の頬に汗が伝う。
「おい。そのままじっとしてろ」
 そう言って、タオから枝を奪い取ろうと近寄る。
「え、なに?」
 タオは少年の方を向いて首をかしげると、枝を持ち上げた。
 少年が声をあげ、手を伸ばす。
 牙をもつ頭をもたげ、少女の足を目指して蛇の頭が踊る。
 その蛇が、少年の視界から消えた。
「どーしたの?」
 首をかしげるタオの右手で、頭を抑えられた蛇が暴れていた。
「ばかっ。外に放り投げるんだよ。早くっ」
 きょとんとした顔のまま、タオは言われるままに蛇を放り捨てる。
「かわいそー」
 タオは膝をかかえ、崖下を見下ろしたまま呟いた。
 どうも思っていたより、遠くに落ちていったようだ。
「……変な奴」

「えー、変じゃないよぅ。ほらね」
 膨れっ面のあと、両手をぴんと伸ばして少女はその場で回ってみせる。
 黒いスカートがふわりと広がると、あまり日に焼けていない腕が布を押さえる。
 そして、にっこり笑って見せた。
 お日様みたいな笑顔だった。
 そうして、また少年の隣について歩く。
「なぁ、タオは何処から来たんだ? 家族は?」
「うん。えっとね」
 タオは、右腕を真っ直ぐ天へと伸ばした。
 そうして、雲の一つを指差すと、得意げに言った。
「あそこ。でね、パパと、クゥとサナとローランと……えーと、沢山」
 そう言って、タオは両腕を広げる。
 少年は呆れたように、
「あそこって、お前なぁ……そういうのは、お伽話って言うんだぞ」
 雲の上に人が住んでいるなんて聞いたこともない。
「おとぎばなし? おとぎばなしってどんなの?」
 黒い瞳が好奇心いっぱいに、少年の顔を覗きこむ。
「作り話ってことだよ」
 歩きながら、ぶっきらぼうに少年は答える。
「ねぇねぇ、どんなお話があるの」
 はしゃいだ声が、少年の隣で聞こえる。
(まるで、犬っころに懐かれたみたいだ)
 もし、少女にしっぽがついていたら、さぞかし元気良く振られていることだろう。
「わかったよ。じゃあ、焔(ほむら)の英雄って話を知ってるか?」
 タオは首を横にふる。帽子の周りの緑の毛も一緒に揺れた。
 少年はひとつ頷くと、
「ずっとずっと昔、今とは違う神様が治めていた時代があったんだってさ。その頃は、魔の門から現れた魔物が世界中に溢れていて、妖精も竜も居なかったんだ。その代わりに、人間を同じ魔物に変えてしまう吸血鬼ってのがいたんだ。みんな、吸血鬼に怯えながら暮らしていた……」
 誰でも知っているありふれたお伽話を、少女は真剣な顔で聞いていた。
 それに気をよくしたのか、少年の語りには徐々に演技めいたものになっていった。
「でも、その時、一人の英雄が現れたんだ。黒い肌に黒い髪に尖った耳をした魔剣使いだよ。その手にした剣は、蒼き炎を纏い、次々と吸血鬼を灰に変えていった。そうして、最後は吸血鬼たちの本拠地に乗り込んで、全てを焼き払ったんだ。魔の門も、全て残さずに……。そして吸血鬼を倒したあと、彼は人々の賞賛の声には耳を傾けず、姿を消した」
 少年は手に持つ杖を剣に見立てて、ふってみせる。
「ええっ。どうして居なくなっちゃったの!?」
「うん。吸血鬼の他にも、悪い魔物が沢山いたんだ。だから、焔の英雄は残りの魔物を退治しに行ったのさ。……そして、今も何処かで、みんなのために剣を振るっている」
「本当っ! 焔の英雄さんってずっとずっと昔の人なんでしょ。凄いねぇ、何歳だろう」
 少年はタオの言葉に苦笑を浮かべた。
「本気にするなよ。だから、お伽話なんだって。でも、カッコいいだろ?」
「うんっ」
 タオが元気良くうなづいた。
「じゃあ、次はタオの番な」
「ほぇ?」
「俺が話したから、次はタオの番。何でもいいよ」
 少女は真剣な顔で考え込む。
 そして、ぱっと顔が明るくなったかと思うと、元気のいい声で話し始めた。
 それは、これまで少年が聞いたことのない話だった。
「あのね。人間は、妖精と竜と動物と、あと魔物に生き物を区別しているけども、その魔物の中には夜ではなく昼に生きる者達がいるの。ううん、正確には魔物とは別の生き物なんだ。それはね、妖精がこの世界の空気を綺麗にしたみたいに、色んなものを作り変えたの。腐った土は肥沃の大地に、灼熱の湖は綺麗な水に。それはね、神様のお手伝いをしている人たちなのよ」
「人たち…? 魔物だろ?」
「魔物だけど、違うんだよ。天使っていうの。この世界はね、ずーーーっと昔から天使に守られているんだよ」
「へぇ、じゃあ、その天使も魔物を退治してくれてるんだ」
 タオは首を横に振った。
「ううん。天使は生き物の命を奪うことが禁じられているの。それがどんなに悪い生き物でも、殺すことができないの」
「それじゃあ、守ってないじゃんか。焔の英雄は、魔物を倒して人間を救ったんだ」
「え、えっと、んー。あれー? でも、天使はちゃんとこの世界の生き物を助けているのよ」
 タオは頭に手をあてて、首をかしげる。
「いいよ、もう。……まぁ、結構面白かったしさ」
 少年の言葉に、タオはまた嬉しそうに笑った。
「面白かった? 良かった」
「その天使って魔物。どんな姿をしてるんだ?」
「うん。あのね。人に良く似てて、背中に白い翼が生えてるんだよ。あの鳥みたいな」
 そうして、少女が指差した先、小枝には白い鳥が止まっていた。
 鳥は僅かに身を屈めたかと思うと、枝を蹴って大空を舞う。
「いいなぁ。翼かぁ……翼があったら、薬草もすぐにとってこれるのに」
 そう、少年はぼやいた。

 山道から獣道に入る。
 そうして抜けた先に、その花畑があった。
 人の手の入ってない草花が咲き乱れ、甘い香りを漂わす。
 疲れていたはずなのに、少年は杖を放り出して乱暴に草を掻き分けた。
 そんな少年の様子を、少し離れた場所でタオは見ていた。
「あった。あったよ、タオ!」
 草の間から少年が顔を出す。泥のついた手には、小さな黄色い花をつけた草の束を握っていた。
「うん。これで、お母さんの病気も治るんだよね」
 良かったね、と少女が微笑む。
 少年は、一生懸命、薬草を選び出してはむしった。
 タオは、空を見上げた。
 青い空が、黄色に橙色へと変化していく、それが不思議でたまらないといった風に、飽きずに眺めていた。
「ねぇ、どうして空は色が変わるの?」
 少年は緑の中に顔を埋めたまま、答える。
「そういうもんなの。魔物の動き出す夜を前にして、殺された人々の血と嘆きが空を赤く染めた……何て話もあるけどさ。そんなの全然――」
 少年は慌てて立ち上がった。
 麦わら帽子を被った少女の後ろ姿、その少女の見ている先は茜色の空が迫っていた。
 燃えるような赤い空が。
(時間をかけすぎた)
 少年は左手には取ったばかりの薬草を、右手には少女の手を握って、元来た道を駆け下りた。
 少年にはお金が無かった。安全な村で、薬を買うお金はなかった。だから、自分で薬草を摘みに来た。
 魔物が居るという山には、薬草も手付かずで残っていると聞いていたから。
 でも、魔物は夜にしか動かない。
 だから、昼間の間に摘んだら、すぐに逃げ出すつもりだった。
(タオのせいだ。こいつに合わせたから、遅れたんだ)
 太いロープが何本もの這いずる音が、後ろをついてきた。
 それは徐々に数を増やしていく。
 振り返ってはいけない。立ち止まってはいけない。
「ねぇー、凄いよ。ほら」
 暢気な声、身に迫る危機を理解していない声が、後ろをみながら言う。
「ばかっ。走るんだよっ」
 少女の腕を引き、前を向かせる。
 何が凄いのかなんて、知りたくも無い。
 竜や妖精騎士が、そしてお伽話の英雄が倒した魔物は、この世界にいる魔物のほんの一部にすぎない。
 走りながら、少年はこの山で見かけた生き物が、蛇と鳥しかいないことに気がついた。
 空を飛べる鳥だけが、この山に巣食う魔物から逃れることができるのだろうか。
 竜や妖精なら空を飛べる。
 魔法使いだったら、そんな魔法もあるのかもしれない。
 でも、ここに居るのは子供が二人。
 山道を駆け下りるうちに、空は刻一刻と色を変えていく。
「うわあっ」
 少年は驚きの声をあげて、急に立ち止まった。
 その背中に、タオが顔面からぶつかって、抗議の声をあげる。
「もー、何なのさーぁ」
 来る時は何もなかった坂道の先に、無数の蛇がひしめき合っていた。
 振り返る。
 暗い坂の上にも、無数の生き物の気配を感じた。
 肌が粟立つ、嫌な気配だ。
 少年は逃げ道を探して、視線をめぐらせた。
 そうして、道の外、斜面を見下ろす。
 木々に埋もれた斜面のその先、その暗闇の中なら逃げきれるかもしれない。
 少年は、手にした薬草をしっかりと握っていることを確認して、少女の手を斜面の方へと引っ張った。
「ここで蛇に殺されるよりはマシだ。タオっ」
 けれど、駆け出そうとする少年の腕を、タオが両腕で掴んで押さえた。
「ダメだよ。そっちは、」
 両腕でしっかりと少年の腕を抱えたまま、タオは暗闇を睨みつけた。
「こっち、こっちだよ」
 そう言って、坂道の先へと少年の腕をひく。
 そこは無数の蛇が鎌首をもたげ、子供たちがやってくるのを今か今かと待ち構えているというのに。
「お前、魔物が怖くないのか」
「うん。だって――」
 タオの言葉が終わる前に、少年は少女の手を振り解いていた。
 そうして、一歩後ずさる。
 昼間、タオは素手で蛇を掴んでいた。
 帰るのが遅れたのは、この少女に構って時間を取られたから。
 魔物が怖くない人間なんているだろうか。ましてやそれが、戦う剣も魔法も持たない子供なら尚更に。
「どうしたの? 行こうよ」
 少女がほんの少し微笑んで、手を差し出した。
 そして、少年を安心させようと無邪気に笑う。
 少年は、その手を取らなかった。
「そう、だよな……大体、綺麗な格好した女の子が、こんな魔物の居る山に一人でいるなんておかしいと思ったんだ」
 そして、少年はタオから離れ、暗い斜面の方へと一歩ずつ下がる。
「焔の英雄の話にだって出てきた。魔物は、人間に化けるって。そして、獲物を誘い込むって。タオ、お前は――」
 少年は、暗い斜面の方へと踵返す。
「ダメだよ。そっちじゃないの!」
 少女の声が背中に届く、が少年は暗闇へと飛び込んだ。

 急な斜面に、足が滑る。
 宙に浮いたその先に、巨大な眼を見た気がした。
 魔物は人を化かす。
 それは、何も人に化けるだけとは限らない。
 例えば、獲物を追い立てるために不気味な音を人の耳に届ける。
 慌てた人間を誘導させるために、無数の蛇の幻影で道を埋め尽くす。
 後は、目の前に滑り落ちてきた人間を喰らうだけ。
 人間を丸飲みにしてしまう、大きな蛇の頭、その口が開くのを少年はただ見ていることしかできなかった。
 遠のく意識の中、少年の耳に鳥の翼の音が聞こえてきた。
 そして、
「もー、道の外に出たら危ないって、君が教えてくれたんだよ」
 ほんの少し間延びした、明るい声が少年のすぐ後ろから聞こえた。
 ふいに、少年の体が浮いた。
 蛇の口は、少年の靴をかすめて閉じる。
 口惜しそうに、蛇が少年を見上げていた。
 少年が横に首を傾けると、大きな白い翼が見えた気がした。


 次に目を開けたとき、少年は星と村の明かりを見た。
 誰かが、村の側まで運んでくれたのだ。
 少年は魔物から助かった、と安堵の息をついた。
 そして、手に握っていたはずの薬草が無いのに気づいて、辺りを見渡した。
 少年の傍ら、麦わら帽子の中に薬草は入っていた。
 何の変哲もない麦わら帽子に、緑に染めた毛などついていなかった。
 それを大事に胸に抱きかかえて、少年は立ち上がった。
 見上げる夜空に、あの大きな白い翼は何処にも見えなかった。
「……天使?」
 少年のつぶやきが風に流れる。
 沢山の星が、空に瞬いていた。

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