逆しまの空2-3
2007.08.10(Fri)
***


 『中央』との通信室。

 四枚の翼を持つ青年は、机に手をついたまま声を荒げた。
「ですが、我々だけでは――。向こうがどれだけ広いのかも、どんな世界なのかもわかっていないのですよ」
「あら、だから貴方たちに調査を頼むのでしょう?」
 通信相手の姿は表示されていなかった。
 その声の主は、神の住む神界、天使の住む天界、そして人間が住む人界、この三つの世界に続く、新たな第四の世界の発見に対し、落ち着きをはらっていた。
 リューイは必死に食い下がった。
「人界のようなケースは稀だとご存知でしょう。着いた先の大気が、毒でないと誰が言い切れますか。理が違えば魔法も使えるかどうか……。そうなったら、物を言うのはこの体だ。そうなったら、十三名では手が足りない」
「あら、貴方を含めて十四名ではなくて?」
 すぐさま声の主が、リューイの言葉を訂正する。
「あの子は――リスカ様はまだ子供です」
「だから、数には加えない? それは、おかしいでしょう。現場の責任者が置いていかれるなんて、可哀想ではなくて? それに、異界探索の適任者にあの子――『戦鳥(いくさどり)』を越える者がいるかしら」
(ふざけるな)
 そう口にしかけるところを、リューイは唇を噛んでこらえた。
 『彼女』の機嫌が、自分たちの運命を左右するのだから。
「指令には従います。ですが、幾ら何でも無謀すぎます。『中央』からの人手と準備期間が欲しい。せめて、一ヶ月は――」
「……リューイ。貴方、私に言ってみせたわよねぇ。見放された者たちを守ってみせるって。なら、実証して御覧なさいな。成果次第では何人か『中央』に帰してあげてもいい。それとも、今からでも私に謝罪するのなら、貴方だけなら助けてあげる。私も、こんなところで肉親を失うのは心苦しいわ」
 『彼女』は笑っていた。
 心苦しいとは口ばかりで、喜びを隠そうともしない。
 天使は、同族を直接手にかけることはできない。
 だが、死地に追いやることはできる。
 保護と称して監獄に閉じ込めることもできる。
 研究と称して『辺境』に追い出すこともできる。
 格好の機会を得て、嬉しいのだろう。
「貴女って人は何処までっ!」
「貴方に免じて三日あげます。家族との面会も許可しましょう。でも、辞退は許しません。良いわね?」
 通信が一方的に切られた後、リューイは悔しさを机にぶつけた。
 窓から差し込む光は、何処までも明るく暖かかった。


 食堂兼休憩所には、人が集まっていた。
「リューイ様。全員、揃いました」
 リューイは天使の一人から資料を受け取ると、部屋全体を見渡した。
 すでに第四の世界の話は行き渡っているらしく、十三名の天使たちは真剣な顔で彼の説明を待っていた。
「我々は引き続き第四の世界に入り、調査を行うことになった。出発は四日後、門の固定・制御を最優先とする。全員に半日の休暇を渡す、『中央』の家族との面会も許された。会ってくるといい」
 急な話に天使たちは騒ぎ出した。
 不安そうにする者、苛立ち怒ったように言葉を交わす者、一人が手を上げた。
「その新世界はどんな所ですか」
「今のところ、『夜』と生命反応が確認されている。人界の様に、植物や獣、虫や魚に相当する生き物が居るという推測だが、正確な所は入ってみなければわからない。――他は?」
 一番手前で腰掛けていたリスカが手を上げた。
 集まったメンバーの中でも、ぐんと幼かった。
 大人用の椅子に座っているので、足が床に着いていなかった。
「そこにも、我々のような『人』は居るのか?」
「現在調査中だ。だが、実際に現地で調査しないとわからないだろう」
 泣き虫ミューがおずおずと手を挙げた。
「あ、あの……戦いに、なるんですか?」
 その言葉に全員の視線が集まる。
 天使は、戦うということに関して不得手な種族だった。
 身を守ったり、傷を癒すことには長けていても、極一部の例外を除いて攻撃魔法を扱うことができない。
 そもそも命を奪うという行為をタブーとしていた。
 ゆえに人界に存在するような、死刑は天界には無い。
「なる、かもしれない……としか、今は答えられない」
 窓にもたれるようにして聞いていた天使が、呆れたように言った。
「何だよ。わからねー事ばっかじゃんか。そんなんで準備しろとか言われたって、何をしろってんだよ」
「ヒュノ。アンタねぇ」
 ヒュノから少し離れて座っていた別の天使が、注意する。
「ンだよ。俺は間違ったこと言ってるか?」
 ヒュノは、注意してきた天使に言い返した。
 しかし、それに答えたのはリューイだった。
 喧嘩腰になりかけた会話に割り込む。
「そうだ。ヒュノの言い分は正しい。だから、この先は『中央』ではなく私からのお願いだ」
 リューイは、全員の顔をよくみるようにゆっくりと部屋を見渡した。
「これから君たちには二つの道を選んで貰いたい。一つは、『中央』の要請どおりに第四世界を探索する道。もう一つは、調査をせずに人界へと落ち延びる道だ。もう、君らは人間に化けることも、そこで生活を立てる術も学んでいるはずだ」
 リスカは目を瞬いたあと、振り返って仲間たちの様子を窺った。
 皆、驚いているというより、来るべき時がきてしまったというような覚悟に近い顔で話し合っていた。
 リスカは細い眉をゆがめると、小さな手を挙げた。
 リューイが頷くのを見て、発言する。
「私は『中央』の指令は絶対だと教わってきた。どうして逃げる話が出るのだ。それに、今の話し方ではいつか人界に落ち延びることを想定して、人界に降りていたように聞こえる。人界に降るのは、調査のためではなかったのか?」
 リューイは、優しく諭すようにリスカに説明した。
「…そうだね。本来、私たち天使は最長老様のご意向に従う義務がある。むろん、調査は私が行う。だから、皆には自分たちで選んで欲しいのだよ。第四世界に向かい命を危険に晒すか、人界に向かい平穏に暮らすか、ね。ただ一つ、先に言っておくと人界の様に、異なる界の住人を受け入れる所は、非常に稀だということだ」
 リスカは不満そうに口をヘの字に曲げた。
 青年の言い分が気に入らないのだ。
 自分にだけ、子供を相手にするような言葉遣いをするその話口調が。
「それでは、リューイばかりが貧乏くじを引くではないか」
「私も適当な所で引き揚げるさ。隠れたり、逃げるのは得意だからね」
 そんな軽い冗談を言って、リューイはリスカに笑いかける。
 天界ではあまり知られていない幻術を、人界から持ち込んだのは彼だ。
「何が得意だ。他の事が出来ない癖に。言葉は通じない、逃げることも出来ない、戦うしかない時が着たらどうする。人間のように武器を取るのか? 知ってるぞ。『戦鳥』でない天使が他者の命を奪えば――」
「その時は、その時だよ。案外、話せば解ってくれるところかもしれないよ? 可能性は無限だから、ね」
 そう言って、青年はリスカから視線を外すと、窓の外を見上げた。
 他の天使たちは席を立ち、互いに相談を続けている。その話がまとまるのをリューイは待っているようだった。
 リューイの背中の四枚の翼を、リスカは睨むように見つめていた。
 ふと、誰かがリスカの肩を叩いた。
 長い髪は柔らかな菫色をしていて、いつも花の匂いをさせている女性、サナだった。昔、人界に降りた時に貰った香水を今も大切に使っているらしい。
「ねぇ、リスカちゃん。良かったら私と一緒に来ない? 人界でも誰か大人の人が一緒にいないと生活が難しいから」
 母親がいたら、きっとサナみたいな人なのだろうとリスカは思っていた。
 彼女はリスカに服を着せながら、髪を梳きながら、食事をしながら、眠る前に、色んな話を聞かせてくれた。
 そのほとんどが人界の話だった。
 でも、リスカは、やたらと絡んでくるサナが少しうとましかった。サナの子供扱いが嫌だった。
 サナはリスカの背中を優しくさすりながら、
「リューイ様なら大丈夫よ。私たちは先に行って、来られるのを待ちましょう」
「それは、何時まで待てばいい」
「何年でも何百年でも、私たちに寿命は無いのだから……ね?」
「どうせ待つなら、私はリューイと一緒にいる。そして、一緒に人界に降りる」
 サナは膝をついて、リスカと視線の高さを合わせた。
 ふっくらとした頬に、蒼い瞳がまっすぐに幼い天使を見つめる。
「ねぇ、リスカちゃん。未知の場所を探索するのは、本当に危険なことなの。リューイ様は、私たちが心配で申し出てくれているのよ。わかる?」
「わからない。大変なことなら、尚の事皆で手伝えばいいじゃないか。力を合わせて、解決に望めば早く終わるのだろ」
 サナは、そっと四枚の翼を持つ青年の方を見て、彼がこちらを見ていないことを確認すると、リスカの長い耳に口を寄せた。
「私たちが居なければ、リューイ様は『中央』に戻ることができるの。わかる? 最長老様に睨まれているのは私たちであって、彼ではないわ。皆が幸せになれるのよ」
 サナは耳から口を離すと、元のトーンに戻して話を続けた。
「リスカちゃんも、人界でお友達ができたんでしょう? 異世界に行ったら、もう向こうの寿命が尽きる前には戻って来られないかもしれない。それってね、とても哀しいことなのよ。まだ、リスカちゃんには実感がわかないかもしれないけど、なってからじゃ、もう取り戻せないのよ」
 そう、捲くし立てて、サナは幼い天使の手を握った。
 リスカは、不安そうにリューイの方を見上げた。
 視線に気づいたのか、青年は首を傾けて、そして目を細めて微笑んでみせた。

 ――心配いらないから。

 そう、言っているような気がした。
 他の天使たちの会話に耳を傾けても、皆、人界に降りる方向で話を進めているようだった。
 その流れを変えたのは、一人の天使の発言だった。
 耳たぶが少し隠れるくらいの金髪を揺らし、翡翠の瞳を目一杯に見開いて、食堂の真ん中で両腕を広げて言った。
「ボクは反対だな。人界に落ち延びるだって? 異界の発見に調査だよ。それって、天界史にも残る大きな出来事なんだよ。『中央』を見返すチャンスじゃないか。どうして、ボクらが逃げ隠れたりしないといけないのさ。手柄を立てて、堂々と天界(ココ)に残ろうよ」
 怒っているように声を大にして言う天使に、皆が意外そうに、目を向ける。
 こんな風に声を荒げるタイプには見えなかったから。
「何言い出すんだよ。シー。らしくねぇなぁ」
 窓際で、さっき口論になりかけた天使と話していたヒュノが、声をかけた。
***

 シーは、尚の事声を大きくした。
「だって、皆おかしいよ。ボクらには、戦鳥がいるじゃないか。戦えるんだよ。『中央』の奴等とは違うってところ、見せてやろうよ。ねぇ、リスカ様」
 シーの右手が、幼い天使へと向けられる。
 『戦鳥』は、生まれながらに攻撃魔法を持った天使のことだ。
 命を奪うことの出来ない天使の唯一の例外。
 命を奪うことの出来る天使。
 ゆえに同族からも恐れられ、リスカは長く監禁されていた。
 このゲート開発支部に左遷されるような天使は、皆似たようなもので。『中央』に居られなくなった――脛(すね)に傷を持つような者ばかりだった。
「ボクらは、堂々と『中央』に戻れるんだよ。最長老様だって、この功績は潰せないって。やろうよ。賭けるだけの価値が、皆だってあるだろう」
「シー。最長老様は、そんなに甘くないよ」
 答えたのは、リューイだった。
 険しい顔で、まだ若い天使を睨んでいた。
 天使は、翼の枚数で階級が変わる。本来、四枚の翼を持つリューイと二枚の翼のシーとでは会話はできない。
 けれど、シーは臆すること無く、言い返した。
「人界に落ち延びて、毎日、天使の存在に怯えながら暮らす方がボクは嫌だね。それに、リューイ様は一つ、大切なことを忘れてる」
「それは、何かな?」
「リスカ様の可能性だよ。六枚の翼を持った最長老候補をこんな所で潰すの? これは神様がくれたチャンスなんだよ。リスカ様を最長老に就けれるように。きっとそうだよ」
 リューイは黙って俯いた。
 リスカは自分が話題の中心に移ったことに戸惑い、言い合う二人の顔を交互に見比べていた。
 そんなリスカをサナが抱きしめた。
「ダメよ。この子は、まだ子供よ。そんな危ないこと」
「――リスカ様は、死んだアンタの子供の代わりにはならないよ」
 リスカは、はっとしてサナの顔をみた。
 彼女は真っ青な顔で、唇を噛んでいた。
 やたらと絡んでくるのは、失った子供とリスカを重ねてみていたからだ。
 シーの話は止らない。
「それに、何のために『戦鳥』なんて種がいるのさ。こういう時のためだろう。でなかったら、リスカ様は何のために親兄弟を犠牲にして生まれてきたのか、教えて欲しいよ」
 リスカは胸の鼓動が強く脈打つのを聞いた。
 どうして、長い間、閉じ込められていたのか。
 どうして、戦鳥が恐れられるのか。

 それは、産声で両親の命を奪ったから。

「やってみようよ。ボクらは不要な存在じゃない。天界にとって必要なんだって、証明してやろうよ。人界に行くのだって、試してからでも遅くないよ。だってまだ、第四の世界の事をボクらは何も知らないんだよ」
 シーは本当に一生懸命、言葉を振るった。
 もう、誰も人界に降りてどうするか、など口にしなかった。
 四枚の翼を持つ青年が、ゆっくりと口を開いた。
「わかった。やってみよう。でも、本当に危なくなったら、第四世界から手を引く。皆もそれで良いね?」
 誰も異論を唱えない。
 リューイは頷いた。
 そんな彼に、シーは勢い良く頭を下げて言った。
「ありがとうございます!」
 会議が終わり、各々が準備へと向かう。
 ヒュノはシーの熱弁に「やるじゃないか」と言って、シーの肩に腕をまわして引きずっていった。
 第四世界側に設置する門の準備をする者、食料などの用意をする者、家族に会いに行く者、色々だった。
 サナも忙しそうに出て行く。
 リスカはまた、やることが無くなった。
 でも、今までになかった目標ができた。
 『戦鳥』として、必要あらば、他者の命を奪ってでも、仲間たちを異界の脅威から守るという目標が。



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